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平福本陣跡

平福本陣跡

兵庫県佐用郡佐用町平福、因幡街道の平福宿にあるかつて本陣跡が、平福本陣跡(ひらふくほんじんあと)。往時は700坪もの広大な敷地を誇っていましたが、現在は素戔嗚尊神社(すさのおのみことじんじゃ)の「お旅所」で、白壁の門や回廊式の塀が再現され、庭園として整備されています。

鳥取藩主が参勤交代の際、ここで休泊

智頭急行平福駅から徒歩2分〜3分の場所にある平福本陣跡。
鳥取藩は参勤交代に因幡街道を使ったため、智頭宿に御茶屋、大原宿(小原宿)と平福宿に本陣を構えて旅の便宜を図っていました。

鳥取藩主の参勤交代は、寛永12年(1635年)〜文久2年(1862年)の227年間に178回を数え、1年半ほどに1回は江戸参府が行なわれていたことがわかります。
宿駅の整備は参勤交代が始まる前後、池田光仲の時代、寛永9年(1632年)〜寛永14年(1637年)頃だと推測され、鳥取藩主池田氏は智頭本陣と大原本陣で宿泊するのが一般的だったので、平福本陣は休憩などに利用したのだと推測できます。
中国山地を越える難所続きの街道旅行ゆえに、街道と宿駅の整備、確保は至上命題だったのです。

往時の遺構は失われ、陣屋門をイメージした木造本瓦葺きの建物を、平成8年に整備しています。

平福本陣跡
名称 平福本陣跡/ひらふくほんじんあと
所在地 兵庫県佐用郡佐用町平福
電車・バスで 智頭急行平福駅から徒歩3分
ドライブで 中国自動車道佐用ICから約22kmで道の駅宿場町ひらふく
駐車場 道の駅宿場町ひらふく駐車場を利用
問い合わせ 佐用町商工観光課 TEL:0790-82-0670/FAX:0790-82-0492
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

利神城

兵庫県佐用郡佐用町平福にある国の史跡に指定される山城が、利神城(りかんじょう)。赤松一族の別所敦範が、南北朝時代の貞和5年・正平4年(1349年)、北方の守りとして利神山に築いた山城が起源。関ヶ原の合戦後に播磨国入りした池田由之(いけだよし

平福宿

兵庫県佐用郡佐用町、利神城(りかんじょう)の麓に位置し、因幡街道随一の賑わいをみせた宿場町が、平福宿(ひらふくしゅく)。慶長・元和年間(1596年〜1623年)の30年間ほどは利神城の城下町として、その後は宿場町として栄、さらに高瀬舟を使っ

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大原本陣

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