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河原町妻入商家群

河原町妻入商家群

兵庫県丹波篠山市河原町、「丹波篠山市篠山伝統的建造物群保存地区」に選定された城下町篠山のなかで間口が狭く奥行きの深い妻入りの商家群が残るのが、河原町妻入商家群。近くに篠山川に架かる京口橋があり、この町並みが京への出入口(河原町通りは京街道)であったことを物語っています。

江戸時代を偲ばせる妻入商家の家並みが続く

篠山城築城の際、慶長14年(1609年)、築城の名人・藤堂高虎(とうどうたかとら)が城下町を縄張り(基本設計)した際に商家を配した場所で、 京街道に沿って丹波地区に特有の妻入りの商家が建ち並んでいます。
現存するのは江戸時代末期〜大正時代に建てられた町家で、今も妻入りの商家が軒を連ね、江戸の昔を偲ばせています。

町並みには古丹波コレクションなどを展示する蔵造りの「丹波古陶館」、「篠山能楽資料館」、城下町らしい古美術・骨董の「尚古堂」、さらにはみやげ物店などもあり、城下町散策を楽しむのにはぴったり。

商家の間口は5~8mと狭い感じがしますが、奥行きは40mと深く、往時の表構えは千本格子、荒格子や蔀戸(しとみど)で構成されていました。
中二階の窓は出格子と太い格子をしっくいで塗り固めた虫籠窓(むしこまど)。
防火対策に袖壁や卯建(うだつ)も備えられています。

河原町には真福寺、観音寺という2つの寺院が防御的な意味合いを含んで建てられている点にも注目を。
真福寺は篠山城が築かれた翌年、藩主・松平康重(まつだいらやすしげ)の指図によって、この地に移されたもので、観音寺も同様に八上城下から移転してきたもの。

篠山城に西側には御徒士町武家屋敷群があり、河原町妻入商家群とともに散策すれば、城下町・篠山を満喫したことになります。

河原町妻入商家群
名称 河原町妻入商家群/かわらまちつまいりしょうかぐん
所在地 兵庫県丹波篠山市河原町
関連HP ぶらり丹波路(兵庫県丹波県民局)公式ホームページ
電車・バスで JR篠山口駅から神姫バス篠山営業所行きで17分、本篠山下車、徒歩2分
ドライブで 舞鶴若狭自動車道丹南篠山口ICから約5km
駐車場 丹波篠山市河原町駐車場(1時間まで無料。以降有料)を利用
問い合わせ 篠山観光案内所 TEL:079-552-3380
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

御徒士町武家屋敷群

兵庫県丹波篠山市西新町、篠山城の西側に位置する城下町が、御徒士町武家屋敷群(おかちまちぶけやしきぐん)。慶長14年(1609年)、篠山城が完成した際に、同時に行なわれた町割で誕生した武家町。篠山城の外堀・西濠の外側に南北の通り(御徒町通り)

丹波篠山市篠山伝統的建造物群保存地区

兵庫県丹波篠山市(たんばささやまし)東新町、西新町、南新町、北新町、河原町、小川町及び立町の一部、40.2haが、篠山市篠山伝統的建造物群保存地区。丹波篠山は京と山陽・山陰道を結ぶ交通の要衝で、篠山城の城下町の歴史ある町並みが現存し、国の伝

篠山城

篠山盆地(兵庫県篠山市)の中央部、笹山とよばれる小丘陵に築かれた平山城が、篠山城(ささやまじょう)。徳川家康が築城の名人・藤堂高虎(とうどうたかとら)ら5人を普請奉行に任じ、池田輝政、福島正則、毛利秀就、山内忠義ら西国大名20名を動員して天

 

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