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須佐男神社(久々知須佐男神社)

須佐男神社(久々知須佐男神社)

兵庫県尼崎市久々知(くくち)、広済寺の北側に隣接する須佐男神社(久々知須佐男神社)は、天徳元年(957年)、源氏の頭領として摂津一帯に勢力を誇っていた多田満仲(ただのみつなか=源満仲)の勧請により建立された古社。主祭神は、須佐男命(すさのおのみこと)。

神仏分離までは妙見菩薩を祀る妙見宮だった

多田満仲(源満仲)ゆかりの矢文石

近松の里周辺には太古からの歴史を秘める神社が多数ありますが、それはこのあたりが弥生時代から集落のあった場所で、数々の古墳も造られていたから。
つまり古代文化の痕跡がそこかしこに見られる地というわけなのです。

境内にある矢文石は、多田満仲(源満仲)が摂津国守に赴任した際に、住吉大神の御信託によって矢文を放つとこの石に当たり妙見宮を祀ったと伝えられています。

現在は須佐男命(すさのおのみこと)を祀る須佐男神社ですが、明治初年の廃仏毀釈、神仏分離令までは広済寺と一体化し、妙見、牛頭天王を主神とする神仏習合の社で、江戸時代の妙見信仰がブームの時代には妙見宮として繁栄していました(江戸時代中期、寛政年間刊行の『摂津名所図絵』にも久々知妙見祠として描かれています)。

妙見宮とは、北斗妙見菩薩を祀る社のことで、北辰星(北極星)を中心に北斗七星を神格化したもの。
妙見とは、すぐれた視力から、善悪、真理をよく見通す力で、平安時代の末期には、北天にあった妙見菩薩が戦場に現れ、勝利に導く軍神として崇められるようになりました。

多田満仲(源満仲)も妙見菩薩を信仰し、屋敷で祀っていた鎮宅霊符神像(妙見菩薩と習合)を寛和2年(986年)、能勢妙見山に勧請し、その後、能勢妙見山は、北極星信仰の聖地にもなっています。
久々知須佐男神社の創建は、天徳元年(957年)と能勢妙見山の創建よりも30年近く古いことになります。

現存する本殿・幣殿・拝殿は、元和2年(1616年)の再建。

隣接する広済寺は、神仏習合時代の神宮寺(神社を管理する寺)。
明治の神仏分離まで、妙見宮にあった北辰妙見大菩薩、牛頭天王、諏訪大明神の神体は、現在、広済寺境内の妙見堂(開山堂)に日昌尊像とともに安置されています。

尼崎市には水堂町の水堂古墳(前方後円墳)にも須佐男神社(水堂須佐男神社)が鎮座していますが、創建は天正3年(1575年)で、久々知須佐男神社の方が古い歴史を有しています。

『摂津名所図絵』久々知妙見祠
須佐男神社(久々知須佐男神社)
名称 須佐男神社(久々知須佐男神社)/すさのおじんじゃ(くくちすさのおじんじゃ)
所在地 兵庫県尼崎市久々知1-3-28
関連HP 尼崎市公式ホームページ
電車・バスで 阪急園田駅から尼崎市営バス阪神尼崎駅行きで10分、近松公園下車、すぐ。または、JR塚口駅から徒歩15分
ドライブで 名神高速道路尼崎ICから約2km
駐車場 なし
問い合わせ 須佐男神社(久々知須佐男神社)TEL:06-6493-1965
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

広済寺

兵庫県尼崎市にある江戸時代の浄瑠璃・歌舞伎の作者、近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の菩提寺として知られる日蓮宗の古刹が、広済寺。寺伝によれば天徳元年(957年)、多田満仲(源満仲)が妙見菩薩を勧請して創建、荒廃していた妙見宮を慶長年間(

伊佐具神社

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