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伊佐具神社

伊佐具神社

兵庫県尼崎市上坂部、広済寺・近松公園の北にある伊佐具神社(いさぐじんじゃ)は、尼崎市内で唯一、平安時代編纂の『延喜式神名帳』に名を連ねる式内社という格式ある神社。神社周辺は、元弘の変(1333年)で後醍醐天皇のため奮戦した赤松円心(赤松則村)ゆかりの地といわれ、赤松円心の墓も残されています。

尼崎市内で唯一の式内社

縄文海進から続く古代にはこのあたりが海岸線と推定され、神功皇后が筑紫行幸の途中、この地に上陸して祈誓されたと伝えられています。

『延喜式神名帳』に記載される摂津国河辺郡七座の一社で、皇室から鍬や靫が奉献されていたという由緒ある神社。
寛政8年(1796年)〜寛政10年(1798年)刊行の『摂津名所図会』には「上坂部村にあり。『延喜式』に出づ。今、稲荷明神と称す。森村とともに産土神とす」と記されています。

主祭神は、景行天皇の皇子、五十狭城入彦尊(いさぎいりひこのみこと)。
本殿前に立つ「伊佐具社」の標石は、江戸時代中期に国学者・並河誠所が式内社を比定した際に建立したもので、尼崎市の文化財に指定されています。

神社一帯は古墳時代から室町時代の遺跡「伊佐具神社遺跡」で、社殿が高くなっているのも古墳の上に社殿が鎮座しているから。

また、境内に行在所(あんざいしょ)跡の碑が立つのは、皇極天皇4年(645年)6月14日の乙巳の変(いっしのへん)に始まる大化の改新で、孝徳天皇が、難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや=現在の大阪市中央区、難波宮史跡公園)に遷都した際、この地に上陸し、行在所として小墾田宮を建てたという故事に由来し、碑に「おはただの 板だの橋の と絶えしを ふみなおしても わたる君かな」(源実連)と刻まれています。

境内社の白龍稲荷神社は、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈以前に福円山浄徳寺の建物だったもの。

伊佐具神社の南側には、近松門左衛門ゆかりの広済寺、須佐男神社(久々知須佐男神社)、近松公園、近松記念館などがあり、尼崎市の文化ゾーンになっています。

赤松円心の墓
伊佐具神社
名称 伊佐具神社/いさぐじんじゃ
所在地 兵庫県尼崎市上坂部3-25-18
関連HP 尼崎市公式ホームページ
電車・バスで JR塚口駅から徒歩15分
ドライブで 名神高速道路尼崎ICから約2.5km
駐車場 10台/無料(例祭時は利用不可)
問い合わせ 伊佐具神社 TEL:06-6492-0753
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

須佐男神社(久々知須佐男神社)

兵庫県尼崎市久々知(くくち)、広済寺の北側に隣接する須佐男神社(久々知須佐男神社)は、天徳元年(957年)、源氏の頭領として摂津一帯に勢力を誇っていた多田満仲(ただのみつなか=源満仲)の勧請により建立された古社。主祭神は、須佐男命(すさのお

広済寺

兵庫県尼崎市にある江戸時代の浄瑠璃・歌舞伎の作者、近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の菩提寺として知られる日蓮宗の古刹が、広済寺。寺伝によれば天徳元年(957年)、多田満仲(源満仲)が妙見菩薩を勧請して創建、荒廃していた妙見宮を慶長年間(

 

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