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黒田家廟所

黒田家廟所

兵庫県姫路市御国野町、御着城(ごちゃくじょう)跡の一角にあるのが、黒田家廟所。造営当初の板墨書銘によれば、福岡藩主・黒田家が享和2年(1802年)に完成させた黒田重隆の墓所。黒田孝高(くろだよしたか/黒田官兵衛、後の黒田如水)の祖父・黒田重隆と生母(明石氏)を祀っています。

黒田官兵衛の祖父・黒田重隆を祀る

黒田家の祖先は、御着城主小寺家の家老となり、黒田重隆(くろだしげたか)の代から姫路城を守り、子の黒田職隆(くろだもとたか)、孫の黒田孝高と継ぎ、天正8年(1580年)、秀吉の播磨平定の際に、孝高が姫路城を秀吉に譲り、父・職隆とともに国府山城に移っています。

黒田家廟所に祀られる黒田重隆は、子の職隆に家督を譲った後、御着城下の屋敷へ戻り、永禄7年(1564年)に没。
黒田家廟所の瓦は深志野で焼かれ、石塀には竜山石が使われています。

ちなみに黒田家廟所が建立された享和2年(1802年)は、10代藩主・黒田斉清(くろだなりきよ)の時代。
生後7ヵ月で家督を相続、黒田家廟所建立時にもまだ7歳だったので、9代藩主・黒田斉隆(くろだなりたか=藩校を創建するなどしています)時代からの黒田藩の念願を実現したのです。
黒田斉隆は、天明3年(1783年)、黒田綱之を祀る幹亮権現社を創立、さらに初代長政を祀る黒崎大明神を再興しています。
天明3年(1783年)10月には姫路の心光寺の僧・入誉上人が黒田職隆の墓所発見を黒田藩に伝えたことで、玉垣を廻らし黒田職隆墓所が整備され、姫路における顕彰も始まったのです。

黒田家廟所
名称 黒田家廟所/くろだけびょうしょ
所在地 兵庫県姫路市御国野町御着1150-3
関連HP 姫路市公式ホームページ
電車・バスで JR御着駅から徒歩10分
ドライブで 播但連絡道路花田ICから約2km
駐車場 姫路市東出張所・御国野公民館駐車場(3台/無料)
問い合わせ 姫路市教育委員会事務局生涯学習部文化財課 TEL:079-221-2786/FAX:079-221-2779
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

御着城

兵庫県姫路市御国野町御着にある中世の城跡が御着城(ごちゃくじょう)。茶臼山城とも呼ばれた中世の城で、永正16年(1519年)、姫路城代・小寺政隆(こでらまさたか)が築城し、赤松氏の一族小寺氏の居城となり、別所氏の治める三木城、三木氏の英賀城

 

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