御着城

御着城

兵庫県姫路市御国野町御着にある中世の城跡が御着城(ごちゃくじょう)。茶臼山城とも呼ばれた中世の城で、永正16年(1519年)、姫路城代・小寺政隆(こでらまさたか)が築城し、赤松氏の一族小寺氏の居城となり、別所氏の治める三木城、三木氏の英賀城と並んで播磨三大城に数えられていました。

黒田官兵衛が小寺政職の近習として仕えた城

御着城は、城内に山陽道や城下町をとり込んだ惣構え(そうがまえ)の平城でしたが天正7年(1579年)、羽柴秀吉の城攻め(織田信忠軍)で落城し廃城となっています。
羽柴秀吉の城攻めの際の城主は、小寺政職(こでらまさもと)。
小寺官兵衛(黒田官兵衛)が当初仕えていた武将で、黒田氏の家紋である橘紋は小寺氏から賜ったもの。
小寺政職は、当初は官兵衛の進言もあって織田方に付いていましたが、天正6年(1578年)、荒木村重が有岡城で織田信長に謀反した際に信長に背き、毛利氏と通じたのです。

その後、小寺政職の子・小寺氏職は後に黒田氏に仕え、子孫も福岡藩士として続いています。

黒田官兵衛の祖父・黒田重隆は備前国福岡(現・岡山県瀬戸内市長船町福岡)から播磨国に移り、御着城主の小寺則職に仕え、黒田則職の子・政職が御着城主となると、黒田重隆は姫路城代となっています。
孫の官兵衛も姫路城で生まれており、御着城主・小寺政職の近習となり、永禄5年(1562年)頃に元服し、小寺姓を名乗っています。
黒田姓に戻したのは、御着城落城後、秀吉の与力となってから。

御着城
名称 御着城/ごちゃくじょう
所在地 兵庫県姫路市御国野町御着
電車・バスで JR御着駅から徒歩10分
駐車場 姫路市東出張所・御国野公民館駐車場(3台/無料)
問い合わせ 姫路観光コンベンションビューロー TEL:079-222-2285
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
英賀神社

英賀神社

兵庫県姫路市飾磨区に鎮座し、平安時代編纂の『日本三代実録』に記載される古社、英賀神社(あがじんじゃ)。播磨国一之宮の伊和神社(宍粟市)に祀られる伊和大神(いわのおおかみ=播磨国の国土開発の神)を助け、英賀の地を拠点として播磨灘沿岸地域を開拓

黒田家廟所

黒田家廟所

兵庫県姫路市御国野町、御着城(ごちゃくじょう)跡の一角にあるのが、黒田家廟所。造営当初の板墨書銘によれば、福岡藩主・黒田家が享和2年(1802年)に完成させた黒田重隆の墓所。黒田孝高(くろだよしたか/黒田官兵衛、後の黒田如水)の祖父・黒田重

 

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