兵庫県伊丹市のJR福知山線・伊丹駅近くにある戦国時代の城跡で、国の史跡になっているのが有岡城跡(伊丹城跡)。南北朝時代、摂津国人の伊丹氏によって築城された伊丹城が前身。戦国時代、織田信長に突如反旗を翻した荒木村重(あらきむらしげ)の籠城戦、黒田官兵衛の幽閉で有名です。
小寺孝隆(黒田官兵衛)が幽閉された城
文明4年(1472年)の修築で、日本最初という天守台が築かれたのが伊丹城。
天正2年(1574年)、荒木村重が伊丹氏に替わって伊丹城の領主となり、大改築を施して有岡城と改称しています。
城である主郭部、家臣団の住む侍町、そして一般町人の住む町屋地区に分かれ、全体を堀と土塁で囲んだ惣構えの城(東西0.8km、南北1.7kmの要塞)で、難攻不落の城でした。
いざという時の備えとして、北・西・南の要所にはそれぞれ岸の砦(現・猪名野神社)、上ろう塚(じょうろうづか)砦、鵯塚(ひよどりづか)砦の3つの砦を築いていました。
荒木村重は三木合戦の最中に主君の織田信長に反旗を翻したため、羽柴秀吉は旧知の仲の小寺孝隆(黒田官兵衛)を使者として派遣しますが、なんと土牢に幽閉。
1年余籠城戦を展開しますが、天正7年(1579年)、荒木村重は妻子を有岡城に残し、単身で有岡城を脱出し、尼崎城(大物城)へ。
人質となった妻子は信長に処刑されますが、荒木村重は毛利氏に亡命し、尾道に隠遁(信長没後は堺で暮らしています)。
この合戦で有岡城は落城し、廃城となっています。
明治時代の鉄道敷設によって、城跡の東側が失われていますが、城跡一帯は公園として整備され、本丸跡西側の土塁と自然石をそのまま積んだ野面(のづら)積みの石垣が現存。
さらには2つの井戸跡も復元されています。
ちなみに、荒木村重が突如、織田信長に反旗を翻した理由は今も定かでありません。
多くの武将の説得も実らず、最後には単身有岡城に乗り込んだ小寺孝隆(黒田官兵衛)も幽閉してしまいますが、小寺孝隆(黒田官兵衛)は、織田軍の大軍の攻撃を受けて落城する際に、家臣・栗山利安によって救出されています。
有岡城(伊丹城) | |
名称 | 有岡城(伊丹城)/ありおかじょう(いたみじょう) |
所在地 | 兵庫県伊丹市伊丹1-12 |
関連HP | 伊丹市公式ホームページ |
電車・バスで | JR伊丹駅から徒歩すぐ |
ドライブで | 中国自動車道中国池田ICから約5km |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 伊丹市教育委員会事務局生涯学習部 TEL:072-784-8090 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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