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伊和神社

伊和神社

兵庫県宍粟市(しそうし)一宮町にある平安時代編纂の『延喜式神名帳』に記載の古社(名神大社)が伊和神社。播磨国一之宮で、海神社(神戸市垂水区)、粒坐天照神社(いいぼにますあまてらすじんじゃ/たつの市)とともに播磨三大社の一社に数えられています。

播磨の古代史を今に伝える播磨国一之宮

播磨国の国土開発の神である伊和大神(いわのおおかみ=大己貴神)を主祭神として祀り、産業の神、縁結びの神、福の神、病気平癒の神として名高い伊和神社。
古代豪族・伊和君(いわのきみ)が祖先を神格化したのが伊和大神。

奈良時代に編集された播磨国の地誌『播磨国風土記』には、葦原志許乎命(あしはらのしこをのみこと=大国主神、出雲神話の祖)が国造りを行なったと記されることから、出雲の神がやって来て開拓したとも推測できるのです(宍粟市一宮町森に鎮座する御形神社の祭神は葦原志許乎命です)。

古代の播磨国は、ヤマト王権と、中国地方の一大勢力だった吉備国・出雲国の中間地点。
つまり、山陰と山陽・畿内を結ぶ交通の要衝に位置し、古代から拓けた地ゆえの伝承です。

伊和神社の西南400mには一つ山古墳もあり、築造時期は古墳時代中期末(5世紀後半頃)と推測されています。

本殿裏にある霊石・鶴石にまつわる鶴石伝説は有名で、古代豪族・伊和君に「我を祀れ」との神託があり、一夜にして杉・桧などが群生し(現在の社叢)、多くの鶴が舞うなか、大きな2羽の白鶴が石(鶴石)の上に北向きに眠っていたことから、北向きの社殿を築いたと伝えられています。
この鶴石は、今も本殿裏に祀られ、鶴石拝所が設けられています。

律令時代の播磨国(はりまのくに)の国府は、本町遺跡(兵庫県姫路市本町)が有力で、奈良時代の大量の瓦や建物の柱跡が発掘され、播磨国分寺、播磨国分尼寺も姫路市御国野町国分寺で遺構が見つかっています。

国司が一之宮、二之宮など諸国の神々の巡拝を簡略化するために、国内の神々を合祀し、国庁近くに創建した総社は、射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ/姫路市)、二之宮が荒田神社(多可郡多可町)、三之宮が住吉神社(加西市)です。

ちなみに長野県松本市にある伊和神社(信濃国総社とも)は、伊和神社(播磨国一之宮)から分霊を勧請したという説もありますが、定かでありません(いずれにしろ伊和大神=大己貴神が信濃まで浸透していたことに)。

伊和神社
名称 伊和神社/いわじんじゃ
所在地 兵庫県宍粟市一宮町須行名407
関連HP しそう観光協会公式ホームページ
ドライブで 中国自動車道山崎ICから約13km
駐車場 道の駅播磨いちのみや駐車場(36台/無料)
問い合わせ 伊和神社 TEL:0790-72-0075 
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

播磨国分寺跡

国分寺は天平13年(741年)、聖武天皇の詔により、諸国の中心である国府に一寺ずつ建立された官寺で、正式名は金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)。播磨国(はりまのくに)に置かれた播磨国分寺の跡は、姫路市御国野町国分寺

播磨国分尼寺跡

兵庫県姫路市御国野町国分寺、壇場山古墳(だんじょうざんこふん)の北側の住宅地の一角に、小さな碑が立つだけの遺跡が播磨国分尼寺跡。天平13年(741年)、聖武天皇の詔により、諸国に建てられた国分尼寺(法華滅罪之寺)の跡。東西134m、南北18

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