播磨国分尼寺跡

播磨国分尼寺跡

兵庫県姫路市御国野町国分寺、壇場山古墳(だんじょうざんこふん)の北側の住宅地の一角に、小さな碑が立つだけの遺跡が播磨国分尼寺跡。天平13年(741年)、聖武天皇の詔により、諸国に建てられた国分尼寺(法華滅罪之寺)の跡。東西134m、南北180mの規模だったと推測されますが、発掘調査があまりないままに住宅地となっています。

土台跡、築地塀の遺構などが発見されている

播磨国分尼寺跡

現在は、礎石の残存する土壇があったという場所に「播磨国分尼寺跡参考地碑」が立てられているのみ。
寺域の北東にあった毘沙門池も埋め立てられてしまっています。
南大門、中門、金堂、講堂が一直線に並んでいたと推測されていますが、面影はまったくありません。
発掘調査で、瓦工人集団の略称ではないかと考えられる「嶋主」などの文字が描かれた瓦が50点以上が出土。
講堂や金堂とみられる土台跡、さらに東端部の発掘で築地塀の遺構や、塀の屋根から落ちる雨水を流すための溝も確認され、8世紀後半の築造ではないかと推測されています。

寺域の北辺を通る道が旧有馬道、西辺を通るのが丹波道で、南600mの場所に播磨国分寺跡が発掘されています。

名称 播磨国分尼寺跡/はりまこくぶんにじあと
所在地 兵庫県姫路市御国野町国分寺毘沙門252-1
関連HP 姫路市公式ホームページ
電車・バスで JR御着駅から徒歩20分
駐車場 なし
問い合わせ 姫路市役所教育委員会埋蔵文化財センター TEL:079-221-2786
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
播磨国分寺跡

播磨国分寺跡

国分寺は天平13年(741年)、聖武天皇の詔により、諸国の中心である国府に一寺ずつ建立された官寺で、正式名は金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)。播磨国(はりまのくに)に置かれた播磨国分寺の跡は、姫路市御国野町国分寺

壇場山古墳

壇場山古墳

兵庫県姫路市御国野町国分寺にある全長143mの前方後円墳で、西播磨では最大の古墳が壇場山古墳(だんじょうざんこふん)。5世紀前半の築造と推測され、幅20mほどの周濠を巡らし、その外側には周庭帯を有していました。神功皇后の西征の際に、この塚に

 

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