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三木城(上の丸公園・上の丸稲荷神社)

三木城(上の丸公園・上の丸稲荷神社)

兵庫県三木市、神戸電鉄粟生線・三木上の丸駅(みきうえのまるえき)のすぐ南、美嚢川に臨む中世の平山城跡が三木城(上の丸公園・上の丸稲荷神社)。明応元年(1492年)頃、東播磨八郡を領有した別所則治(べっしょ のりはる)が築城。羽柴秀吉の兵糧攻め、「三木合戦」(「三木の干殺し」)で有名です。

播磨三大城は「三木の干殺し」の城

三木城は、小寺氏の御着城(ごちゃくじょう/現・兵庫県姫路市御国野町御着)、三木氏の英賀城(あがじょう/現・兵庫県姫路市飾磨区英賀宮町)と並び「播磨三大城」と称された要衝です。

三木城を有名にしたのは三木合戦。
天正6年(1578年)、時の三木城主・別所長治は、織田信長に対して毛利氏攻めの先鋒を務めると約していましたが、突如反故(ほご)にして三木城に籠城。
この時、羽柴秀吉は城下町を焼き払い、病床の軍師・竹中半兵衛の献策で徹底した兵糧攻めを行ないます。
これが時代劇、大河ドラマなどにも登場する「三木の干殺し」(みきのひごろし)。
その結果、城主・別所長治一族の切腹によって城兵の命を助ける和睦で開城となっています。

本丸跡に「今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我身とおもへば」と記された別所長治辞世の歌碑が建っています。
藩政時代には姫路城の支城となるが、元和の一国一城令で廃城に。

本丸跡は城跡公園(上の丸公園)となり、上の丸稲荷神社が鎮座するほか、別所長治公像も立っています。
上の丸稲荷神社は、別所長治が伏見稲荷の分霊を勧請して創建したもので、三木合戦の後に羽柴秀吉が再興。
江戸時代以降は三木金物産業の従事者たちの尊崇を集めました(本丸跡に三木市立金物資料館が建っています)。

みき歴史資料館(旧三木市立図書館)と堀光美術館が建つ場所が西の丸(二の丸)跡です。

ちなみに三木合戦は、唯一竹中半兵衛と黒田官兵衛の軍師二兵衛(両兵衛)が顔を揃えた合戦でしたが、竹中半兵衛は陣中で病没しています(本陣を構えた平井山に墓が残されています)。

三木城(上の丸公園・上の丸稲荷神社)
名称 三木城(上の丸公園・上の丸稲荷神社)/みきじょう(うえのまるこうえん・うえのまるいなりじんじゃ)
所在地 兵庫県三木市上の丸町775
関連HP 三木市公式ホームページ
電車・バスで 神戸電鉄三木上の丸駅から徒歩3分
ドライブで 山陽自動車道三木小野ICから約3.5km
駐車場 二の丸跡駐車場を利用
問い合わせ みき歴史資料館 TEL:0794-82-5060/FAX:0794-82-5068
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

竹中半兵衛の墓

兵庫県三木市平井山東南の山麓にあるのが竹中半兵衛の墓。軍師として名高い竹中半兵衛(竹中重治)は三木城攻防戦の最中、平井山の陣中で病没。三木合戦で、羽柴秀吉は黒田官兵衛、竹中半兵衛という2人の希代の軍師を片腕にしていますが、それでも戦況は好転

雲龍寺(別所長治首塚)

兵庫県三木市にある曹洞宗の寺、雲龍寺。三木合戦ゆかりの寺で、境内には別所長治首塚があります。寺伝によれば天徳2年(957年)、元三大師(がんざんだいし)の名で知られる天台宗の僧・良源(りょうげん=慈恵大師、)の創建。高源山という山号は、元亨

 

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