竹中半兵衛の墓

竹中半兵衛の墓

兵庫県三木市平井山東南の山麓にあるのが竹中半兵衛の墓。軍師として名高い竹中半兵衛(竹中重治)は三木城攻防戦の最中、平井山の陣中で病没。三木合戦で、羽柴秀吉は黒田官兵衛、竹中半兵衛という2人の希代の軍師を片腕にしていますが、それでも戦況は好転せず、病を押して半兵衛は療養中の京から駕篭に乗って夜半に本営に駆けつけています。

軍師終焉の地は三木城攻めの平井山本陣近く

天正7年6月13日(1579年7月6日)没(『信長公記』)、36歳という若さでした。
竹中半兵衛は、「三木の干殺し」(みきのひごろし)といわれた三木城兵糧攻めを羽柴秀吉に授け、その結果、無血開城を生んでいます。
「陣中で死ぬこそ武士の本望」だったと伝えられています(『竹中家譜』)。

のどかな田園地帯、三木平井山観光ぶどう園の一角に白い塀に囲まれて竹中半兵衛の墓が残されていますが、平井山本陣跡は北500mほどに位置し、徒歩20分ほど。

竹中半兵衛の墓
名称 竹中半兵衛の墓/たけなかはんべいのはか
所在地 兵庫県三木市平井
関連HP 三木市公式ホームページ
電車・バスで 神戸電鉄恵比須駅から徒歩30分
ドライブで 山陽自動車道三木東ICから約6km
駐車場 平井公民館駐車場を利用
問い合わせ 三木市観光振興課 TEL:0794-82-2000/FAX:0794-82-2019
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
三木城(上の丸公園・上の丸稲荷神社)

三木城(上の丸公園・上の丸稲荷神社)

兵庫県三木市、神戸電鉄粟生線・三木上の丸駅(みきうえのまるえき)のすぐ南、美嚢川に臨む中世の平山城跡が三木城(上の丸公園・上の丸稲荷神社)。明応元年(1492年)頃、東播磨八郡を領有した別所則治(べっしょ のりはる)が築城。羽柴秀吉の兵糧攻

 

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