唐人墓

唐人墓

沖縄県石垣市、石垣島の観音崎近くにある、非業の死を遂げた福建省出身の中国人128名を祀る墓が唐人墓。咸豊2年・嘉永5年(1852年)、アメリカの奴隷貿易船ロバート・バウン号で起きた暴動事件で犠牲になった苦力(クーリー=中国人労働者)を祀るため、昭和46年に石垣市が苦力たちの墓を集めて犠牲者の霊を祀ったもの。

アメリカの奴隷貿易船で運ばれた苦力たちの墓

咸豊2年・嘉永5年(1852年)、中国の厦門(アモイ)港からサンフランシスコへ向かうアメリカの奴隷貿易船ロバート・バウン号内で、病気の苦力を海に突き落として鮫に食べさせるなど、虐待された苦力(クーリー=中国人労働者)が暴動を起こし船長らを殺害、石垣島沖で座礁したため380人が下船しました。
その後、船員の救助や中国人の逮捕を目的に石垣島にイギリスの艦船リリー号やアメリカの艦船サラトガ号が来島、富崎の収容所を砲撃したうえに、武装した兵士が上陸し、逃走した苦力100人以上が見せしめにその場で処刑されました。
当時は「サンビャク ヌトウヌピィトゥヌハカ」(三百の唐の人の墓)といわれた石積みの墓が点在していたのみでした。

昭和46年、中国風の様式で建立された墓は、極彩色のきらびやかなもの。
病気などでの死者を含め、死亡した中国人の総数は128名、生存者は172名とされています。
ちなみに沖縄本島・恩納村にある唐人墓は、中国商船の難破による犠牲者の墓です。

ちなみに、1862年7月のリンカーンの黒人奴隷の解放後(南軍兵士の奴隷を解放)、黒人に代わる奴隷売買として、クーリー貿易が盛んになりました。
中国ではマカオがクーリー貿易の拠点で、中国人の出稼ぎ希望者を勧誘、脅迫して契約書に署名させ、劣悪な環境の船でアメリカへと運んだのです。

名称 唐人墓/とうじんばか
所在地 沖縄県石垣市新川1625-9
ドライブで 石垣空港から約9km
駐車場 30台/無料
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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