兵庫県洲本市五色町都志、五色バスセンターの向かい(北側)にある小さな園地が、高田屋嘉兵衛邸宅跡(たかたやかへえていたくあと)。司馬遼太郎 『菜の花の沖』の主人公・高田屋嘉兵衛は、蝦夷地・箱館(函館)を拠点に北方の漁場を開き、漁場運営と廻船業で活躍した江戸時代後期の海商です。
ゴローニン事件前後に建てた邸宅の跡
高田屋嘉兵衛は、明和6年1月1日(1769年2月7日)、淡路国津名郡都志本村(現:兵庫県洲本市五色町都志)の百姓・弥吉の長男として生誕。
生まれた頃の嘉兵衛の家は農家でしたが、叔父の堺屋喜兵衛(廻船問屋「堺屋」)を頼って兵庫津(現在の神戸港)に奉公に出て頭角を表し、寛政7年(1795年)からは兵庫の和泉屋伊兵衛のもとで沖船頭として働き、翌年、1500石積み(230t)の「辰悦丸」を手に入れて、寛政9年(1796年)には蝦夷地(北海道)に進出しています。
その後、択捉島の漁場を開拓するなど北方交易でも商才を発揮しますが、ゴローニン事件(軍艦ディアナ号で千島列島の測量を行なっていたゴローニンを拿捕)に関連してディアナ号に拿捕され、はるかかなたのペトロパブロフスクへと連行されますが、機転をきかせてゴローニン事件を見事に解決しています。
淡路島の邸宅はゴローニン事件・ロシア幽閉と前後する文化年間(1804年〜1816年)に母屋など8棟に拡大したもの。
建物などは明治初期に売却され、今は大正4年建立の記念碑のほかには何も残されていません。
高田屋嘉兵衛邸宅跡は、都志の町並み、都志八幡神社奉納物(ロシアに捕縛された際、無事帰国を祈願して奉納した随神門)などとともに日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」の構成資産になっています。
高田屋嘉兵衛邸宅跡 | |
名称 | 高田屋嘉兵衛邸宅跡/たかたやかへいていたくあと |
所在地 | 兵庫県洲本市五色町都志 |
電車・バスで | 五色バスセンターから徒歩1分 |
ドライブで | 神戸淡路鳴門自動車道淡路島中央スマートICから約10km |
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