高田屋嘉兵衛本店の地

高田屋嘉兵衛本店の地

兵庫県神戸市兵庫区西出町にある往時の兵庫津に高田屋嘉兵衛(たかたやかへえ)が交易の拠点を構えたとされる地が高田屋嘉兵衛本店の地。高田屋嘉兵衛は、淡路島・都志(現・洲本市五色町都志)の出身ですが、叔父の堺屋喜兵衛(廻船問屋「堺屋」)を頼って兵庫津に奉公に出たのが海商への出発点です。

高田屋嘉兵衛の本店は、兵庫津にあった!

高田屋嘉兵衛は、西出町に「諸国物貨物運漕高田屋嘉兵衛」の看板を上げ、寛政8年(1796年)に購入した「辰悦丸」(しんえつまる=1500石積みと当時の国内最大級の船)で上方の塩、酒、綿糸などを新潟や酒田に運び、そこで米を買い入れ、蝦夷地(北海道)で売り、蝦夷地から昆布、身欠き鰊(肥料)などを買い入れるという商売で富を築きます。
高田屋嘉兵衛が隠居する文政7年(1824年)まで、本店を構えたのは兵庫津、現在の西出町だったのです。
文政7年(1824年)、松前藩の御用商人となった弟の高田屋金兵衛は本店を箱館(現・函館市)に移しています(高田屋嘉兵衛の死後、あらぬ嫌疑をかけられ、高田屋は没落)。

高田屋嘉兵衛が本店を構えた当時、一帯は季節風を六甲山が遮り、佐比江の入江といわれる天然の良港でした。
兵庫津への北前船はこの入江にも入り、高田屋の倉庫が建ち並んでいたのです。
「高田屋嘉兵衛本店の地」碑のすぐ西側には、明治中期まで船入江がありました。

竹尾稲荷神社には隠居した文政7年(1824年)、高田屋嘉兵衛が奉納した石灯籠も現存しています。

高田屋嘉兵衛本店の地は、高田屋嘉兵衛奉納の石灯籠などとともに日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」の構成資産になっています。

高田屋嘉兵衛本店の地
名称 高田屋嘉兵衛本店の地/たかたやかへいほんてんのち
所在地 兵庫県神戸市兵庫区西出町1-5-12
電車・バスで JR神戸駅から徒歩15分
ドライブで 神戸高速3号線柳原出口から約1km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
高田屋嘉兵衛邸宅跡

高田屋嘉兵衛邸宅跡

兵庫県洲本市五色町都志、五色バスセンターの向かい(北側)にある小さな園地が、高田屋嘉兵衛邸宅跡(たかたやかへえていたくあと)。司馬遼太郎 『菜の花の沖』の主人公・高田屋嘉兵衛は、蝦夷地・箱館(函館)を拠点に北方の漁場を開き、漁場運営と廻船業

 

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