兵庫県赤穂市、JR播州赤穂駅(ばんしゅうあこうえき)から赤穂城に向かう駅前通りの途中、赤穂駅南交差点(五差路)あるのが赤穂藩上水道モニュメント。江戸時代の初期に掘削された赤穂水道の遺構で、神田上水、福山上水と並んで日本三大水道(江戸三大上水道)にも数えられています。
江戸時代初期に赤穂城下には上水道があった!
慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦で東軍に与した池田長政(いけだながまさ)は、織田秀信の籠る岐阜城攻めで軍功を挙げ、赤穂城主となります(すぐ後に播磨一国を支配し姫路城を築城)。
池田長政は、新たに池田家の赤穂郡代・垂水半左衛門勝重(たるみはんざえもんかつしげ)に命じて掻上城(かきあげじょう=現在の赤穂城本丸と二之丸とほぼ同じ位置にあった初期の赤穂城)を築城しますが、千種川が形成した三角州にあったため、掘り井戸からは海水が湧き出すなど飲用水の確保に困難を極めていました。
そのため、垂水半左衛門は、城下に当時としては画期的な熊見川(現・千種川)の上流から上水道を敷くことを計画。
しかも元和2年(1616年)、日本初の水道トンネル(隧道)となる切山隧道の掘削し、さらには導水路、導水管によって侍屋敷や町家の各戸まで給水するというまさに上水道システムを城下に巡らせているのです。
その先見性ゆえに、赤穂藩の上水道は、日本三大水道のひとつに数えられているのです(当時、他藩の上水道は溜池、湧水池から用水路で城下に水を敷く程度でした)。
この赤穂藩上水道は、なんと昭和19年の近代的上水道の完成まで現役で使われていたのです。
保存計画の調査からも、現在も導水ルートはほぼ当時のままに現存し、上水として飲用には不適でも、中水として利用できることが判明しています。
発掘調査地点8ヶ所のうち6ヶ所で上水道遺構が検出され、石垣樋、竹管、素焼土管などが良好な状態で残存していることが確認され、昭和57年に赤穂藩上水道モニュメントが設置されています。
赤穂藩上水道は赤穂小学校前の旧姫路街道(百目堤)の地下を通り、赤穂藩上水道モニュメントからお城通りの地下を南下し、赤穂城に取り込まれていました。
忠臣蔵の舞台として著名な「息継ぎ井戸」(早朝に赤穂城下に早駕籠で到着した「殿ご乱心」を伝える使者が、大石邸に向かう前に一息ついた井戸)も実は井戸ではなく、上水道の汲出枡。
大手門の太鼓橋の下にも旧上水道管が通っているのでお見逃しなく。
赤穂藩上水道モニュメント | |
名称 | 赤穂藩上水道モニュメント/あこうはんじょうすいどうもにゅめんと |
所在地 | 兵庫県赤穂市加里屋42-7 |
関連HP | 赤穂市公式ホームページ |
電車・バスで | JR播州赤穂駅から約5分 |
ドライブで | 山陽自動車道赤穂ICから約4km |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 赤穂市産業振興部観光課観光係 TEL:0791-43-6839/FAX:0791-46-3400 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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