『忠臣蔵』の舞台を旅する (3)赤穂にあるゆかりの地へ!

浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の故郷は、播州赤穂(ばんしゅうあこう)。現在の兵庫県赤穂市です。赤穂市では赤穂浪士とは呼ばず、赤穂義士と「義士」扱い。赤穂藩の側からその節義を礼賛した歴史観ですが、実は人形浄瑠璃、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』でも義士として描かれています。

大石内蔵助邸の長屋門が現存!

赤穂で見るべきものの筆頭は、「殿、ご乱心」の一報が早駕籠で届いた大石内蔵助邸。
残念ながら長屋門しか残されていませんが、早駕籠から降りて、門をドンドンと叩く姿が目に浮かびます。

息継ぎ井戸という風変わりな名前の井戸は、早朝に赤穂城下に早駕籠で到着した使者が、大石邸に向かう前に一息ついた井戸だといわれています(正しくは井戸ではなく、赤穂城下には江戸時代初期に上水道が完備していたので上水道の汲出枡です)。

浅野家の居城だった赤穂城は明治維新後に建物をすべて破却し、往年の建築物は残されていません。
長い年月をかけて、櫓や門が復元されていますので、ぜひ立ち寄りたい場所です。

大石内蔵助、浅野内匠頭などを祀る赤穂大石神社、「塩と義士の館」が愛称の歴史館である赤穂市立歴史博物館、菩提寺の花岳寺も必踏のポイントです。

赤穂義士祭

第122回赤穂義士祭|赤穂市|2025

2025年12月14日(日)10:00〜16:00、兵庫県赤穂市で『第122回赤穂義士祭』が開催されます。12月14日には全国各地で「義士祭」が行なわれるがその本家本元。12月13日には花岳寺、大石神社で義士追慕の前夜祭が実施。 12月14

息継ぎ井戸

江戸城松之大廊下で播磨赤穂藩藩主・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)を切りつけた事件が起こったのが、元禄14年3月14日午前11時頃。その夕刻に江戸を発った藩士が、早駕籠(はやかご)で

赤穂市立歴史博物館

赤穂城内の米蔵があった地に建つのが赤穂市立歴史博物館。5つの連なる白壁土蔵の建物は、かつての赤穂藩米蔵を再現。赤穂の名を世に知らしめた塩と義士のほか、城と城下町、旧赤穂上水道など、4つのテーマに分かれており、それぞれパネルやビデオ、人形、模

花岳寺

『忠臣蔵』(『仮名手本忠臣蔵』)で知られる赤穂藩主・浅野家、さらに永井家、森家と赤穂藩の歴代藩主の菩提寺が赤穂市にある花岳寺(かがくじ)。1645(正保2)年建立の曹洞宗の寺で、赤穂城の塩屋惣門を移築した山門をくぐった境内には、浅野長重・長

赤穂大石神社

大正元年、旧赤穂城内、浅野家家老職・大石良雄(おおいしよしお=内蔵助/おおいしくらのすけ)宅跡を中心に建てられた神社で、祭神は四十七士と中折した萱野三平。4000坪の敷地には、国指定の史跡である大石邸跡に残された江戸期の庭園と長屋門などの忠

赤穂城

常陸国笠間藩から入封した浅野長直(あさのながなお)が、慶安元年(1648年)から13年の歳月を費やして築城した名城が赤穂城。甲州流軍学による縄張りは、本丸と二の丸は輪郭式、二の丸と三の丸の関係は梯郭式で、近世城郭史上珍しい変形輪郭式の海岸平

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赤穂藩上水道モニュメント

赤穂藩上水道モニュメント

兵庫県赤穂市、JR播州赤穂駅(ばんしゅうあこうえき)から赤穂城に向かう駅前通りの途中、赤穂駅南交差点(五差路)あるのが赤穂藩上水道モニュメント。江戸時代の初期に掘削された赤穂水道の遺構で、神田上水、福山上水と並んで日本三大水道(江戸三大上水

『忠臣蔵』の舞台を旅する (4)西尾市にあるゆかりの地へ!

『忠臣蔵』では意地悪い老人に描かれる高家旗本・吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)の領地が、愛知県西尾市吉良町。吉良家は先祖が家康と一緒に人質として今川義元の駿府で暮らすという名家。しかも、地元を歩くと堤防工事、新田開発と、吉良上野

『忠臣蔵』の舞台を旅する (2)東京にあるゆかりの地へ!

ざっと赤穂事件と呼ばれる、松之大廊下の事件発生の背景をおさらいしたところで、「現場検証」を兼ねて、江戸城松之大廊下を皮切りに、討ち入りのあった吉良邸跡、さらには主君の墓前に吉良上野介(きらこうずけのすけ)の首を献上した増上寺へと巡りましょう

『忠臣蔵』の舞台を旅する (1)事件の概要を知ろう

赤穂浪士(あこうろうし)の吉良邸への討ち入りで知られる『忠臣蔵』。江戸時代に浄瑠璃や歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』が大ヒットして、一躍有名になった仇討の話。舞台は江戸城松之大廊下に始まり、赤穂浪士の切腹で幕を閉じていますが、まずは事件の発端から

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