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神戸港移民船乗船記念碑

神戸港移民船乗船記念碑

兵庫県神戸市中央区波止場町、神戸港のメリケンパーク、BE KOBE モニュメント近くにあるのが、神戸港移民船乗船記念碑。平成13年4月28日に建立された海外移住者の功績を讃えるための記念碑で、明治41年4月28日に日本初の移民船「笠戸丸」(東洋汽船)が出港したことを記念したモニュメントです。

明治41年、日本初の移民船「笠戸丸」が神戸港を出港

親子3人の像で、台座には「希望の船出」の文字。
子供は海の彼方を指差し(その先にあるのはブラジル)、大人は遠い空を見つめています。

明治30年に計画された「土佐丸」によるブラジル移民1500人は、ブラジルでのコーヒー価格暴落による財政的な理由で断念され、土佐丸事件と呼ばれています。
明治38年頃から、再びブラジル移民熱が再燃し、明治41年4月28日、ブラジルへの最初の移民船「笠戸丸」が神戸港を出港したのです。
移民の数781名で、当初は国の援助はなく、自身で渡航費用を捻出できる人のみが旅立ったのです(6月18日にサントス港入港)。
初期の移住は、水野龍を代表とする皇国殖民会社とサンパウロ州との契約で、コーヒー農場での雇用を目的にし(コロノ=雇用契約労働者)、国策としての移民は昭和8年〜昭和9年にピークを迎えています。

神戸からの移民船によるブラジル移住が終了したのは昭和46年のこと。
ブラジルへの移民の総数は戦前は18万9000人、戦後が6万8000人で、ブラジル国内での日系人は140万人と推定されています。

神戸市中央区山本通3丁目には「海外移住と文化の交流センター 移住ミュージアム」(入館無料)があり、ブラジル移民の歴史を学ぶことができます。

明治41年、神戸港を出航する第1回ブラジル移民船に使用され、「ブラジル移民の船」として歴史に名を残した「笠戸丸」は、明治42年、大阪商船が豪華客船に改修、南米航路などで活躍します。
昭和5年、大阪商船から東洋興行に売却され、いわし工船に改造され、さらに昭和13年、日本水産の蟹工船として転売。
第二次大戦中末期には北千島ホロムシロ島への輸送船となっていますが、その当時の姿が『石狩挽歌』の歌詞にある「笠戸丸」です。

神戸港移民船乗船記念碑
名称 神戸港移民船乗船記念碑/こうべこういみんせんじょうせんきねんひ
所在地 兵庫県神戸市中央区波止場町
電車・バスで JR元町駅・阪神本線阪神元町駅から徒歩15分
ドライブで 阪神高速道路神戸線京橋ランプから約1.6kmで市営メリケンパーク駐車場
駐車場 メリケンパーク駐車場(630台/有料)
問い合わせ 神戸国際観光コンベンション協会 TEL:078-303-1188/FAX:078-302-2946
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

BE KOBEモニュメント

「BE KOBE」は阪神・淡路大震災から20年(平成27年)を機に生まれたロゴマーク。神戸開港150周年(平成29年)は、神戸市の発展の歴史でもあることから、メリケンパークの岸壁に、BE KOBEモニュメント(金属製モニュメント)が設置され

メリケンパーク

明治元年、開港と同時に外国人居留地の前に置かれたのがメリケン波止場。メリケン(米利堅)とはアメリカのことで、居留地の西端に初代のアメリカ領事館(現在の神戸郵船ビルの場所に建っていた)のあったことが名の由来です。埋め立てが進んで、現在ではメリ

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