サイトアイコン ニッポン旅マガジン

沼名前神社

沼名前神社

広島県福山市鞆町(ともちょう)にあり、「鞆の祇園さん」とも呼ばれるのが沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)。神功皇后(じんぐうこうごう)が霊石に綿津見命を祀り海路安全を祈ったことに始まると伝わる古社で、明治時代に渡守神社(わたすじんじゃ)、鞆祇園宮(ともぎおんぐう)を合祀し、沼名前神社に。

明治初年に鞆祇園宮と渡守神社が合祀

平安時代編纂の『延喜式』神名帳にも沼名前神社という記載がある延喜式内社ですが(現在は渡守神社に比定されています)、須佐之男命(すさのおのみこと)を祀り鞆の関町に鎮座した鞆祇園宮が焼失、当地に移転した後、明治9年に大綿津見命(おおわだつみのみこと)を祀る渡守神社に合祀され、現在の社名に戻しています。

江戸時代には、現社地に鞆祇園宮が鎮座し、その境内社が渡守神社でした。
鞆祇園宮は、鞆の産土神(うぶすながみ=鎮守社)として崇敬され、福山藩主からも多くの寄進を受けた神社です。
明治の合祀の際には、当初は鞆祇園宮に渡守神社を合祀するかたちでしたが、後に渡守神社に鞆祇園宮を合祀するかたちに変更されています。

本殿脇にある能舞台は、かつて伏見城にあった遺構で、豊臣秀吉が愛用したと伝わるもの。
日本唯一の組み立て式で、国の重要文化財に指定。
初代福山藩主・水野勝成(みずのかつなり/徳川家康のいとこ=家康の母・於大の方が父・水野忠重の姉)が福山城伏見櫓(現存)などとともに2代将軍・徳川秀忠から拝領し、福山城に移設。
万治年間(1658年〜1660年)、3代藩主・水野勝貞が寄進しています。

社殿前の石燈籠は、江戸時代の慶安4年(1651年)、福山藩3代藩主・水野勝貞(みずのかつさだ)の寄進。
二の鳥居は、寛永2年(1625年)、水野勝重(のちの2代藩主水野勝俊)が長子(のちの3代藩主水野勝貞)の誕生に際して、健康を祈願して寄進したもの。

境内の八幡神社隣には、20個の花崗岩製の力石があり(118kg〜230kg)、祭礼の場などで、若者や船乗りたちが力自慢をしたのだと推測できます。
天保15年(1844年)、安政5年(1858年)など幕末の年号が刻まれた石もあり、近くの住吉神社の3個の力石とともに「鞆ノ津の力石」として福山市の有形民俗文化財に指定されています。

また2月第2日曜の『お弓神事』や7月第2日曜前夜の『お手火神事』など、特殊神事でも知られています。

沼名前神社
名称 沼名前神社/ぬなくまじんじゃ
所在地 広島県福山市鞆町後地1225
関連HP 沼名前神社公式ホームページ
電車・バスで JR福山駅から鞆鉄バス鞆の浦方面行きで35分、鞆の浦下車、徒歩10分
ドライブで 山陽自動車道福山東ICから約15.3km
駐車場 福山市鍛冶駐車場(122台/有料)
問い合わせ 沼名前神社 TEL:084-982-2050
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

沼名前神社『お手火神事』|福山市|2024

2024年7月13日(土)20:00〜、広島県福山市の沼名前神社(ぬなくまじんじゃ=鞆祇園宮)で『お手火神事』が斎行。旧暦6月4日に執り行なわれたもので、現在は7月第2日曜の前夜に斎行。長さ4m、重さ150kgの大松明(だいたいまつ=大手火

沼名前神社『お弓神事』|福山市|2024

2024年2月11日(日)14:00~、福山市の沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)で『お弓神事』が執り行なわれます。鞆の祇園さんと呼ばれる沼名前神社。福山市無形文化財に指定される『お弓神事』は、毎年2月の第2日曜に境内社の鞆八幡神社で齋行されて

鞆港・常夜灯

広島県福山市鞆町の鞆の浦(とものうら)は北前船の寄港などで栄えた港町。鞆の港に入る船の目印となっていた石造の常夜灯が現存しています。寛政3年(1791年)に築かれたもので、今も鞆の浦のシンボルとなっています。その足下に広がるのが雁木。干潮、

御舟宿いろは(いろは丸事件談判跡)

広島県福山市鞆町鞆、坂本龍馬が紀州藩といろは丸沈没の談判をした「魚屋萬蔵宅」(いろは丸事件談判跡)を宿&食事処として再生したのが、御舟宿いろは。取り壊しの危機にあった建物を、スタジオジブリの宮崎駿監督らの支援とデザインで、平成22年に宿・食

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了