明治の歌人・石川啄木が函館・青柳町(函館公園の北側)で暮らしたのは明治40年5月~9月までの短い期間でした。その間、離散していた家族を呼び寄せるなど、啄木にとっては、明るく楽しい生活だったといわれています。石川啄木は東京で没していますが、遺骨は函館に移され、立待岬に石川啄木一族の墓が残されています。
こよなく愛した大森海岸を見下ろす啄木の墓
「おれは死ぬ時は函館へ行って死ぬ」(明治43年12月21日付・東京市本郷弓町に住む啄木から函館の宮崎郁雨に宛てた手紙で)というほど啄木は函館を愛していました。
明治45年4月に27歳という短い生涯を小石川区久堅町74番地46号(現・東京都文京区小石川5-11-7)で終えた啄木の遺骨は、節子夫人の希望で大正2年、函館に移され、大正5年に啄木の愛した立待岬に義弟・宮崎郁雨の手で墓碑が建てられました。
「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむるの」歌が刻まれた墓碑の前からは啄木が散策した大森海岸を見渡すことができます。
石川啄木一族の墓 | |
名称 | 石川啄木一族の墓/いしかわたくぼくいちぞくのはか |
所在地 | 北海道函館市住吉町16 |
関連HP | 函館市公式観光情報はこぶら |
電車・バスで | JR函館駅前から函館市電谷地頭行きで12分、終点下車、徒歩15分 |
ドライブで | 函館空港から約10km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 函館市観光案内所 TEL:0138-23-5440 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag