サイトアイコン ニッポン旅マガジン

襟裳岬歌碑

『襟裳岬』という題名の歌は、島倉千代子が歌ったヒット曲『襟裳岬』、そして「襟裳の春は何もない春です」で物議を醸した有名な森進一の『襟裳岬』と実は2曲あります。襟裳岬突端の断崖上には『襟裳岬』の歌碑が仲良く並んで立ち、同名異曲の歌碑が並ぶという珍しいスポットになっています。

昭和49年の紅白歌合戦のトリは紅白とも『襟裳岬』

『襟裳岬』という歌を最初に歌ったのは島倉千代子。
昭和36年5月5日、日本コロムビアのリリースで作詞は、『高原列車は行く』、『東京のバスガール』、『高校三年生』から『ハクション大魔王』、『みなしごハッチ』まで幅広いジャンルを手がける丘灯至夫(おか としお)、作曲・遠藤実。
「風はひゅるひゅる」で始まる名曲で、シングル100万枚を売り上げるヒット曲になっています。

昭和36年の『第12回NHK紅白歌合戦』の紅組トリでの歌唱曲は、この『襟裳岬』でした。
というわけで、この曲で、襟裳岬は全国区の観光地に仲間入りしました。

森進一の『襟裳岬』(ビクター音楽産業)はフォークブームの昭和49年。作詞・岡本おさみ、作曲・吉田拓郎という『旅の宿』を生み出したフォーク世代の黄金コンビ。
当初はB面扱いだったのを両A面扱いで発売(A面は『世捨人歌』)。
第16回日本レコード大賞の大賞、第5回日本歌謡大賞の大賞をダブル受賞しています。
ちなみに、昭和49年の『第25回NHK紅白歌合戦』は、紅組のトリが、島倉千代子『襟裳岬』、白組のトリが森進一『襟裳岬』という快挙に(森進一初の大トリ)。

当初はサビの部分の「襟裳の春は何もない春です」に、えりも町の町民などから反発もありましたが、このうたのヒットで襟裳岬を訪れる人も急増(当時は国鉄の周遊券を使って北海道一周をする人が、幸福駅・愛国駅などを訪れ、国鉄バスで襟裳岬に立ち寄っていました)。

昭和45年に襟裳町はえりも町に町名を変えていますが、昭和46年に改名記念で襟裳岬に島倉千代子の歌碑を建立。
さらに平成9年、えりも町は、「風の館」の建設と、森進一の来町を記念して島倉千代子の歌碑の横に、森進一の歌碑を並んで建立しています。
そんなわけで襟裳岬は、同名異曲のヒットソングの歌碑が並ぶ、異色の場所になっています。

襟裳岬歌碑
名称 襟裳岬歌碑/えりもみさきかひ
所在地 北海道幌泉郡えりも町えりも岬
関連HP えりも町公式ホームページ
電車・バスで 苫小牧駅、札幌からえりもまで高速バスを利用し、えりもからJR北海道バスで20分
ドライブで 日高自動車道日高門別ICから約129km。とかち帯広空港から約104km
駐車場 えりも岬駐車場(200台/無料)
問い合わせ えりも町産業振興課 TEL:01466-2-4626/FAX:01466-2-4633
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

襟裳岬

2020年5月3日

襟裳岬灯台

2017年5月8日

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了