松前にある武田信広(武田信廣)を祭神とする神社。松前家は寺町の一角に松世祠を設けていましたが、明治12年、地元から武田信広を祭神とする神社の創建の願いが開拓使に出され、旧松前城北の丸を境内地として社殿を建立。つまり松前藩の祖である武田信広を祀った神社です。
松前氏の祖である武田信広を祀った神社
社宝に豊臣秀吉が松前藩初代藩主・松前慶廣(まつまえよしひろ)に与えた桐章、1766(明和3)年の神輿、武田信広がコシャマインの蜂起(1457年)を平定したとき、蠣崎氏初代の蠣崎季繁(かきざきすえしげ=上之国の領主で花沢館の館主)から贈られた名剣「來國俊太刀」などがあります。
來國俊(らいくにとし)は、鎌倉後期の刀工。
現存する社殿は大正12年築の総檜造り。
ちなみに蠣崎氏第5代当主・蠣崎季広(かきざき すえひろ)が1582(天正10)年に創建した神明社は、明治時代に周辺の多数の小神社を合祀して徳山大神宮となっています。
武田信広
武田信広は、1454(享徳3)年、南部大畑から夷島(えぞがしま=中世の北海道の呼称)に渡り、上之国の領主である蠣崎季繁(かきざきすえしげ)の居館・花沢館で生活。
和人とアイヌの間で勃発したコシャマインの戦いは、道南12館のうち10館が陥落する激戦でしたが客将である武田信広の奮戦で辛くも勝利。
武田信広は、蠣崎季繁の家督を継ぎ、勝山館を築城。子孫は松前守護職も得て松前氏と改姓、松前藩を築いています。
ちなみに武田信広は、1431(永享3)年、若狭国守護大名・武田信賢(たけだのぶかた)の子として生誕と伝えられています(若狭武田氏出身という説は後世の仮託との見方もあり、歴史的な裏付けはありません)。
ルーツを辿ると甲斐韮崎発祥の甲斐武田氏となります。
松前神社 | |
名称 | 松前神社/まつまえじんじゃ |
所在地 | 北海道松前郡松前町松城145 |
電車・バスで | JR木古内駅から函館バス松前バスターミナル行きで1時間29分、松城下車、徒歩5分 |
ドライブで | 函館空港から約106km |
駐車場 | 50台/無料(桜まつり期間は有料) |
問い合わせ | 松前神社 TEL:0139-42-2032 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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