北海道増毛町(ましけちょう)にある、江戸時代中期の津軽藩による蝦夷地警備の陣屋跡が津軽藩増毛勤番越冬陣屋跡。文化4年(1807年)、徳川幕府はロシアの南下政策に対抗するため仙台、会津、南部、秋田、庄内の各藩に蝦夷地警備を命じています。文化6年(1809年)に築かれた勤番陣屋の跡で、遺構は何も残っていません。
19世紀初め、増毛に北方警備の拠点があった!
津軽藩はエトロフ、ソウヤ、シャリの守備を命じられましたが、冬季間の寒さと野菜不足による水腫病(現在の壊血病)で多くの藩士の命を失っています。
そのため津軽藩は幕府に窮状を訴え、その願いが聞き入れられて文化6年(1809年)以降の宗谷の越年を増毛に変更することができました。
そのため増毛に築かれたのが勤番陣屋。
志満川食堂の横に標柱と説明版が立つのみですが、当時の宗谷樺太詰め人数は200~300人と推測されるので往時はかなりの規模の陣屋がここに建っていたことがわかります。
ちなみに幕末の安政2年(1855年)、幕府は仙台、秋田、南部、津軽、松前の各藩に再び蝦夷地警備の命を発し、増毛には秋田藩が拠点となる元陣屋を築き(兵員詰所、火薬庫など28棟を建設)、ソウヤとシラヌシ及びクシュンコタン(現・サハリン)に出張陣屋を建て、沿岸の警備にあたりました。
当時、秋田から増毛までの道程は険しく、数ヶ月を要して到着しています。
津軽藩増毛勤番越冬陣屋跡 | |
名称 | 津軽藩増毛勤番越冬陣屋跡/つがるはんましけきんばんえっとうじんやあと |
所在地 | 北海道増毛郡増毛町稲葉町1-1地先 |
ドライブで | 深川留萌自動車道深川西ICから約56km |
駐車場 | 増毛町役場駐車場を利用 |
問い合わせ | 増毛町観光協会 TEL:0164−53−3332/FAX:0164−53−2348 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag