北海道根室市落石西、海岸背後の高台をJR根室本線(花咲線)が走る落石三里浜にある戦争遺跡が、落石トーチカ跡。落石岬から西に続く海岸線に、第二次世界大戦末期に、陸軍が築いたトーチカの跡で、友知トーチカなどとともに根室半島トーチカ群(根室東海岸トーチカ)を形成しています。
落石三里浜にあるトーチカの跡
第二次世界大戦の終戦直前、北海道の根室・網走周辺はソ連軍の上陸の危機に直面していました(実際に北方領土の択捉島、国後島などは侵略、住民の蹂躙を受けています)。
終戦時に連合軍の北海道本島での上陸に対する決戦の地を、択捉島の天寧飛行場、根室半島東岸から計根別平地、勇払海岸から苫小牧平地と想定していました。
とくに、根室半島の南海岸、歯舞港から落石港あたりまでの30kmは平坦地で格好の上陸地点となっていたため、昭和18年末頃から防衛上、歯舞、友知、桂木、東和田、昆布森、長節、落石にトーチカが設置されたのです。
工法は至って単純で、近くの工場で当時品薄だったコンクリートでトーチカをつくり、トレーラーに載せて搬送し、海岸に設置。
トーチカは現在、根室半島全体で9ヶ所現存し、いずれもコンクリート製で銃眼付、長さ5m、厚さ1m、重さは30tほどという頑強なつくりで、1トン爆弾に耐えるという重掩蓋掩体です。
警備大隊長としてトーチカ設置の指揮をとったのは大山柏(おおやまかしわ)少佐。
日露戦争で満州軍総司令官を務めた大山巌(おおやまいわお=西郷隆盛の従兄)の次男で、考古学者としても活躍。
陸軍とは肌が合わず、考古学者として慶應義塾大学(史前学研究所)で教鞭をとっていた昭和18年、招集を受けて第32警備隊第33警備大隊長として根室に赴任(貴族院議員では唯一の招集)。
赴任先の根室では物資の補給も十分ではなく、自腹で補給するほどだったとか。
大山柏少佐は私財を投じてトーチカ構築の説明書も記し、苦労の末に完成しましたが、実際に、実戦では使われず、大山柏少佐も転任先の室蘭で艦砲射撃を受けています。
落石の漁港から落石トーチカ跡までは3kmほどあり、海岸を歩けば1時間弱必要ですが、波の穏やかな日でジムニーなど4WDの車なら、締まった浜辺を走行することも可能です。
落石三里浜周辺もヒグマの目撃情報がある場所なので、探勝にあたっては十分な注意が必要。
落石トーチカ跡 | |
名称 | 落石トーチカ跡/おちいしとーちかあと |
所在地 | 北海道根室市落石西 |
ドライブで | 根室中標津空港から約75km |
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