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増毛灯台

増毛灯台

北海道増毛郡増毛町弁天町5丁目、増毛港を見下ろす高台に建つのが、増毛灯台(ましけとうだい)。明治23年12月25日、木造四角形の灯台として初点灯したという歴史ある灯台で、昭和21年に火災で焼失したため、昭和24年3月、コンクリート造り四角形に建て替えられています。平成2年の改修で美しい紅白(赤帯)灯台に。

北海道でも珍しい白と赤の光を交互に発光

増毛灯台は、灯火標高46.0m、北海道でも珍しい白と赤の光を交互に発光させ、暗くなる間のない「不動互光」と呼ばれる形式で、白い光の光達距離は18.5海里(34.3km)です。
昭和42年までは有人で、職員が寝泊まりして海上の安全を図っていました。
増毛町のイベントなどに合わせ内部公開される以外は非公開。

ニシン漁で栄えた増毛には、北前船も寄港し、北海道最古の老舗酒蔵の国稀酒造(くにまれしゅぞう)の創業者・本間泰蔵も、佐渡(新潟県)から北前船で北海道にわたり、明治8年に増毛で起業しています。
小林吉三郎回漕店、高橋孝太郎運送店、増毛共同運送会社、天塩国北見漕運会社、竹内回漕店、本間合名会社(本間泰蔵が経営し、「増毛丸」、「天塩川丸」など数隻を所有)など明治初期に創業した海運業者も多数いたほか、明治18年には日本郵船が小樽を拠点に増毛、利尻、礼文、宗谷、焼尻島への航路を開いたため、灯台の建設は急務だったと推測できます。

船で商都小樽と結ばれ、高倉健主演の映画『駅・ステーション』(昭和56年、監督・降旗康男、脚本・倉本聰)で主人公・三上英次(高倉健)の実家は、当時、陸の孤島だった雄冬という設定ですが、英次は増毛から雄冬海運の「おふゆ丸」に乗船しています。
この定期航路は昭和8年、汽船「海竜丸」を所有する花田直太郎が開いたもので、それまでの山越しの険路しかない雄冬への貴重な交通手段となったのです(平成4年に増毛への航路は廃止)。

灯台周辺は、秋田藩増毛元陣屋第一台場の跡

増毛港は、アイヌ語でポロ(poro=大きな)・トマリ(tomari=和人から伝わった言葉で停泊地)、つまりは大きな港を意味する場所。
アイヌも交易の拠点としていた場所だったのです。
18世紀初頭には、マシケ場所(現在の増毛・浜益エリア)が設置され、春のニシン漁と秋のサケ漁で賑わいました。
天明6年(1786年)の記録では、マシケ場所には「蝦夷男女人数336人、家数75軒」と記され、幕末には多くの和人がニシンを求めて入植しています。

そんな幕末にはロシアの南下政策に対抗するため、増毛には秋田藩が駐屯、安政2年(1855年)に元陣屋が築かれ、増毛灯台付近の弁天町5丁目の高台と暑寒別川西岸河口に台場を築いて和製大砲2門を設置しています。
秋田藩の統治は慶応3年(1867年)まで続いていますが、実際に大砲などが使われることはありませんでした。

幕末に、増毛には足軽長屋が75棟も建ち並んだというからまさに軍事基地の様相を呈していたのです。
増毛灯台北側(一段下がった場所)に秋田藩増毛元陣屋第一台場跡の標柱と説明板が設置されているほか、国道沿いにある第二台場の跡は陣屋展望台として整備され、大砲のレプリカも設置)。

増毛灯台
名称 増毛灯台/ましけとうだい
所在地 北海道増毛郡増毛町弁天町5-96
ドライブで 深川留萌自動車道深川西ICから約56km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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