福島県磐梯町にある東北では開基が明らかな最古の寺院の跡が史跡慧日寺跡(えにちじあと)。南都法相宗の高僧・徳一(とくいつ)が大同元年(806年)、石梯山に建立した寺。徳一は、最澄と論争するなど、最澄・空海と並ぶ奈良時代の高僧ですが、長岡京遷都以前に平城京を去って奥州に仏教を広めています。
会津仏教文化発祥の地
会津に仏教文化が花開いたのも、徳一がいたから。
慧日寺(えにちじ)は、明治の廃仏毀釈で廃寺となり(明治37年、恵日寺として復興)、往時の伽藍があった本寺地区からは発掘調査によって、中門、金堂、講堂、食堂と推定される主要な建物が南北一列に並んでいたことが判明しています。
広大な寺跡は昭和45年に国の史跡に指定され、復元整備が行なわれ、金堂、金堂前の石敷き広場、中門を野外展示施設として復元。
古代寺院における中門は、外部と浄域を区切る場所。
そんな平安時代初めにあったろう勇姿が想像できるようになっています。
慧日寺の本尊でもあった薬師如来は、会津五薬師のひとつである「東方薬師」として親しまれ中世以降には庶民にも信仰されてきました。
現存する薬師堂は明治32年の再建。
磐梯山慧日寺資料館が建ち、慧日寺1200年の歩みをパネルで解説するほか、慧日寺関連文化財を収蔵、展示解説しています。
日本遺産「会津の三十三観音めぐり」の構成資産にもなっています。
徳一が開いた寺で、勝常寺(しょうじょうじ/福島県河沼郡湯川村)は現存し、木造薬師如来坐像と両脇侍立像は国宝です。
慧日寺跡 | |
名称 | 慧日寺跡/えにちじあと |
所在地 | 福島県耶麻郡磐梯町磐梯寺西38 |
関連HP | 磐梯町公式ホームページ |
電車・バスで | JR磐梯町駅から徒歩20分 |
ドライブで | 磐越自動車道磐梯河東ICから約3km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 磐梯山慧日寺資料館 TEL:0242-73-3000/FAX:0242-73-3480 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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