古代から御食津神(みけつのかみ=食物を司る神)として海人族に信仰されてきた神で北陸道の総鎮守、越前国一之宮として尊崇されてきた古社が、福井県敦賀市の氣比神宮(けひじんぐう)。大宝2年(702年)、文武天皇の勅命で社殿を創建と伝えられ、福井市民に「けいさん」の愛称で親しまれています。
高さ36尺の大鳥居は日本三大木造大鳥居
『越前国風土記』には「気比の神宮は宇佐八幡と同体である。八幡は応神天皇の垂跡で、気比の明神は仲哀天皇の鎮座である」と記されています。
主祭神は、伊奢沙別命(いざさわけのみこと)で、その別名が気比大神。
越前国は大陸との交流の拠点でもあり、天平神護2年(766年)には気比の松原に渤海使(渤海国からの使節=当時日本は渤海国と朝貢外交を行なっていた)をもてなす松原客館が勅令によって建設されていますが、氣比神宮宮司がこれを検校(けんぎょう=管理)していました。
日本三大松原に数えられる気比の松原も、戦国時代、信長の越前攻略までは、氣比神宮の神域でした。
織田信長の侵攻によって社殿のほとんどを焼失しますが、慶長9年(1604年)、福井藩の初代藩主・結城秀康(ゆうきひでやす=徳川家康の次男)が社殿を再建しています。
松尾芭蕉も鑑賞した壮麗な社殿群は、国宝に指定されていましたが残念ながら太平洋戦争の戦災で焼失。
本殿、外拝殿などの社殿は戦後の再建です。
高さ36尺(10.93m)の大鳥居(国の重要文化財)は、正保2年(1645年)の造営の木造朱塗の両部鳥居。
奈良の春日大社、広島の厳島神社に並ぶ日本三大木造大鳥居の一つに数えられています。
都怒我阿羅斯等命(つぬがあらしとのみこと)を祀る摂社・角鹿神社(つぬがじんじゃ)は、角鹿(つぬが)が敦賀に転訛したことから敦賀という地名のルーツとされています
毎年9月2〜5日に催される『氣比神宮例大祭』は氣比の長祭として有名。
とくに、9月3日の『神幸祭』では市内一円が各種行事でにぎわいます。
また、近くの敦賀北小学校校庭にある土公は、主祭神の気比大神が降臨した地と伝えられています。
氣比神宮を参拝後、金ヶ崎、金前寺、色ヶ浜、本隆寺と歩いています。
氣比神宮では、月明かりに照らされた神前の白砂とそのいわれに感動し(「気比の明神に夜参す。仲哀天皇の御廟なり。社頭神さびて、松の木の間に月の漏り入りたる、御前の白砂、霜を敷けるが如し。往昔、遊行二世の上人、大願発起の事ありて、自ら草を刈り、土石を荷ひ、泥濘をかわかせて、参詣往来の煩ひなし。古例今に絶えず、神前に真砂を荷ひ給ふ。これを遊行の砂持ちと申し侍ると、亭主の語りける。」)、「月清し遊行の持てる砂の上」と詠んでいます。
氣比神宮境内には松尾芭蕉の像と句碑が立っています。
氣比神宮 | |
名称 | 氣比神宮/けひじんぐう |
所在地 | 福井県敦賀市曙町11-68 |
関連HP | 氣比神宮公式ホームページ |
電車・バスで | JR敦賀駅から徒歩15分。またはJR敦賀駅コミュニティバス「はぎ号」で5分、気比神宮前下車 |
ドライブで | 北陸自動車道敦賀ICから約2km |
駐車場 | 100台/無料 |
問い合わせ | 氣比神宮 TEL:0770-22-0794 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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