福井県小浜市にある近世に築かれた海城が小浜城。雲浜城(うんぴんじょう)とも呼ばれる若狭国の城。若狭小浜藩初代藩主・京極高次(きょうごくたかつぐ)の築城で、藩政時代の藩庁となった城です。後に譜代大名で老中・大老を務めた酒井忠勝(さかいただかつ)が藩主となっています。本丸跡の小浜神社は、酒井忠勝が祭神。
本丸跡に酒井忠勝が祭神の小浜神社が鎮座
関ヶ原の戦いで、徳川家康についた京極高次は、居城である大津城に籠城しますが、大軍を前に高野山の木食応其(もくじきおうご=出家前は京極氏と同じ近江の武将)の仲介(北政所の使者により木食応其が仲介に乗り出しました)のもと降伏。
降伏した京極高次は園城寺で剃髪し高野山に入山します。
西軍(毛利元康軍、立花宗茂軍)の東進を遅らすという京極高次の功績は、家康が高く評価し、高野山から呼び戻して大坂城で家康と会見、褒美として若狭一国8万5000石が与えられたのです。
慶長5年(1600年)10月、京極高次は小浜に入り、日本海、北川、南川に囲まれた雲浜に小浜城を築城、城下町の整備を開始します。
京極高次の妹は、秀吉の側室・松の丸、妻は浅井三姉妹の次女・お初(姉は秀吉の側室・淀、妹は徳川秀忠の妻・お江)で、七光りで出世した「蛍大名」という陰口もありましたが、大津城の籠城戦の功で国持ちの大名になったのです。
京極高次は城の完成を見ずして世を去り、2代藩主・京極忠高は越前国敦賀郡が加増されるも、出雲国・隠岐国に加増転封となり、寛永11年(1634年)、代わって徳川の重臣・酒井忠勝(家光・家綱時代の老中)が入城し、縄張りの変更、天守の建設に着手します。
寛永12年(1635年)にようやく、3重3階の天守が完成し、寛永19年(1641年)に小浜城は完成しています。
以降、小浜城を政庁とする酒井家14代、238年の治世が明治維新まで続きますが、明治4年、大阪鎮台第一分営設置中に二の丸櫓から出火した火災で城郭の大部分が焼失。
天守も売却されています。
本丸跡には往時の石垣が残るほか酒井忠勝を祀る小浜神社が建っています。
天守跡の石垣(高さ11m)からは眼下に小浜湾を眺望。
小浜城(小浜神社) | |
名称 | 小浜城(小浜神社)/おばまじょう(おばまじんじゃ) |
所在地 | 福井県小浜市城内1-7-55 |
電車・バスで | JR小浜駅から徒歩27分 |
ドライブで | 舞鶴若狭自動車道小浜ICから約2.5km |
駐車場 | 小浜神社参拝者駐車場/無料 |
問い合わせ | 小浜神社 TEL:0770-52-1920 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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