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息栖神社

息栖神社

香取神宮、鹿島神宮と並び「東国三社」と称され、江戸時代には船での東国三社参りが行なわれていたという古社が茨城県神栖市の息栖神社(いきすじんじゃ)。社伝によれば、応神天皇の御代に海岸沿いの日川(にっかわ)地区に創建という歴史ある社で、主祭神は鹿島神・香取神による葦原中国平定(あしはらのなかつくにへいてい)で、東国への先導にあたった久那戸神(くなどのかみ)。

大正時代までは東国三社詣でで船で息栖河岸に上陸

御神木
拝殿

延暦18年(800年)、大津波で倒壊したため大同2年(807年)に右大臣・藤原内麿(ふじわらのうちまろ)の命で現社地に遷座しています。

息栖(いきす)は、沖洲(おきす)の転訛で、当初は香取海(かとりのうみ=香取神宮の前に広がる内海で畿内から陸奥への交通の要衝でした)の沖洲に鎮座していたと推測できます。

祭神は、主祭神の久那戸神(岐の神)のほか、天鳥船神(あめのとりふねのかみ)、住吉三神(上筒男神・中筒男神・底筒男神)で海上守護、交通安全にご利益が大。
天鳥船神は、鹿島神の先導をつとめられた神として知られています。

江戸時代には「お伊勢参りの禊(みそぎ)の三社参り」が盛んとなり、利根川には木下茶船と呼ばれる乗合船が行き交いました。

一の鳥居にはかつて息栖河岸(いきすかし)と呼ばれる湊(港)があり、東国三社めぐりの航路の船がここに接岸していました。
利根川水運の拠点となる湊(港)として江戸時代から大正時代まで栄えていたのです。

享保7年(1722年)築という往時の社殿は、昭和35年の火災で惜しくも焼失。
現存する社殿は昭和38年の再建です。
神門は、弘化4年(1847年)築で、唯一焼失を免れた建築物。

一の鳥居横には霊水湧く「忍潮井」も

一の鳥居脇の忍潮井(女瓶)
江戸時代の建築物である神門

一の鳥居にある忍潮井は伊勢の安養寺(三重県多気郡明和町)の明星井(あけぼののい)などとともに「日本三霊水」ともいわれています(「日本三霊水」については定かでありません)。
男瓶、女瓶から霊水が湧き出していますが、昭和48年に河川改修で現在地に移転しています。

松尾芭蕉は貞享4年(1687年)8月14日、鹿島・根本寺の仏頂和尚(「芭蕉参禅の師」)の招きで曾良を伴って、名月観賞を目的に鹿島詣の旅に出ています。
息栖神社境内には「この里は気吹戸主(いぶきとぬし)の風寒し」の芭蕉句碑(昭和61年建立)も立てられています。

気吹戸主は祓戸大神(はらえどのおおかみ=祓戸四神/瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売)の一神で、江戸時代には息栖神社の祭神ともされていたのです。
ただし、芭蕉が息栖神社神社に参拝したという記録はなく、ここで詠んだというのも後世の推測にすぎません。

息栖神社での御祈祷や御朱印の集印、御守りの購入を希望の場合には、事前に電話で社務所が開いていることを確認のうえ、参拝を(無人のことがあるのでご注意を)。

息栖神社
名称 息栖神社/いきすじんじゃ
Ikisujinjya Shrine
所在地 茨城県神栖市息栖2882
関連HP 息栖神社公式ホームページ
電車・バスで JR小見川駅からタクシーで15分
ドライブで 東関東自動車道潮来ICから約8.6km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 息栖神社社務所 TEL:0299-92-2300/FAX:0299-92-0412
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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