サイトアイコン ニッポン旅マガジン

古河城追手門跡

古河城追手門跡

古くは下総国(しもうさのくに)だった茨城県古河市にあった中世の城が古河城。南北朝時代には北朝方の足利氏の拠点となった城で、江戸時代には古河藩の藩庁となり、日光社参の将軍の宿泊所にもなりましたが、現在ではその遺構はほとんど残っていません。城の大手(正面玄関)にあたる古河城追手門跡の石碑が錦町に立っています。

大手門の前(北側)にあった堀も今では失われています

渡良瀬川の東岸に位置した古河城は、江戸時代には東北諸藩に対する関東北部の防御の拠点として機能しましたが、明治の廃城令で建物はすべて破却。
しかも渡良瀬川の河川改修工事で、堀も埋め立てられ、石垣も平坦にという大改修が行なわれています。
本丸や二の丸部分は、三国橋と新三国橋にはさまれた堤防、河川敷の部分です。

大手門は、観音寺曲輪の北に位置し、その北側は武家屋敷が配されていました。
枡形(正方形)の空間を設けた高麗門、櫓門からなる立派な枡形門でしたが、今は石垣すら残されていません。

古河城追手門跡
名称 古河城追手門跡/こがじょうおおてもんあと
所在地 茨城県古河市錦町5
関連HP 古河市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR古河駅から徒歩15分。東武新古河駅から徒歩20分
ドライブで 東北自動車道久喜ICから約18km
駐車場 なし
問い合わせ 古河市観光物産課 TEL:0280-22-5111/FAX:0280-22-5189
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了