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首洗池

首洗池

石川県加賀市、片山津温泉のはずれ、国立石川病院に隣接する池が首洗池。一帯は寿永2年(1183年)、倶利伽羅峠の戦い(くりからとうげのたたかい)で敗走した平家軍と木曽義仲の軍が戦った源平の篠原古戦場。討ち死にした斎藤実盛の首を洗ったのが池の名の由来と伝えられています。

首実検をするため斎藤実盛の首を洗った

幼少時代の木曽義仲をかくまって窮地を救った斎藤実盛(さいとうさねもり)は、老武者と侮られることを恥と考え、白髪を真っ黒に染めて篠原の戦いに出陣。
寿永2年6月1日(1183年6月22日)、奮戦むなしく義仲軍に討ち取られますが、討ち取った首がなぜか黒髪だったことから、この池で首を洗ったところ、白髪頭の実盛であることが判明。
木曽義仲は涙を流して斎藤実盛を葬ったと伝えられています(その塚が実盛塚です)。

この斎藤実盛の最期は、『平家物語』巻第七に「実盛最期」としてわざわざ1章を費やし、「昔の朱買臣は、錦の袂を会稽山に翻し、今の斉藤別当実盛は、その名を北国の巷に揚ぐとかや。朽ちもせぬ空しき名のみ留め置いて、骸は越路の末の塵となるこそ哀れなれ」と記されています。

手塚山公園には斎藤実盛の兜を囲む3人の像が立ち、その横に首洗池があります。

加賀市内には、斎藤実盛が白髪を染めるのに使った鏡を沈めたとされる「鏡の池」、埋葬されたと伝わる実盛塚もあります。
また多太神社の社宝に、実盛の兜があり、松尾芭蕉も『奥の細道』途中に、兜を拝観しています。

首洗池
名称 首洗池/くびあらいいけ
所在地 石川県加賀市手塚町
関連HP 加賀市観光情報センター KAGA旅・まちネット公式ホームページ
電車・バスで JR加賀温泉駅からタクシーで12分。またはJR加賀温泉駅から加賀温泉バス橋立・百万石時代村方面行きで13分、片山津西口下車、徒歩10分
ドライブで 北陸自動車道片山津ICから約2.5km
駐車場 20台/無料
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

多太神社

石川県小松市にある平安時代編纂の『延喜式神名帳』にも記載される古社が多太神社。倶利伽羅峠・篠原の合戦後、木曽義仲が斎藤実盛(さいとうさねもり)の供養と戦勝を祈願して実盛着用の兜を奉納したと伝えられ、木曽義仲好きの松尾芭蕉は、『奥の細道』途中

実盛塚

石川県加賀市の篠原古戦場(旧篠原村)にある小さな塚が実盛塚。地元では木曽義仲軍に敗れた斎藤実盛(さいとうさねもり)の亡骸を葬った場所と伝えられ、実盛塚と呼ばれています。塚には高さ10m、幹回り3.3m。東西21m、南北約23mに枝を伸ばす老

 

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