石川県小松市にある平安時代編纂の『延喜式神名帳』にも記載される古社が多太神社。倶利伽羅峠・篠原の合戦後、木曽義仲が斎藤実盛(さいとうさねもり)の供養と戦勝を祈願して実盛着用の兜を奉納したと伝えられ、木曽義仲好きの松尾芭蕉は、『奥の細道』途中で松2度、多太神社に参拝しています。
芭蕉が二度参拝した木曽義仲ゆかりの古社
社伝によると、6世紀初め、武烈天皇(実在性については定かでありません)の時代に男大跡皇子(をほどのおうじ/後の継体天皇)の勧請で創建と伝えられます。
藩政時代には、加賀藩3代藩主・前田利常(まえだとしつね)は寛永17年(1640年)に社地を寄進し、能美郡惣社になっています。
松尾芭蕉は、元禄2年7月25日(1698年9月8日)に参拝し、斎藤実盛の兜を拝観。
さらに7月27日に山中温泉に向かう際に再び多太神社に詣で、「むざんやな甲の下のきりぎりす」の句を奉納しています。
「此所、太田の神社に詣。実盛が甲・錦の切あり。往昔、源氏に属せし時、義朝公より給はらせ給とかや。げにも平士(ひらさぶらい)のものにあらず。目庇より吹返しまで、菊から草のほりもの金をちりばめ、竜頭に鍬形打たり。真盛討死の後、木曾義仲願状にそへて、此社にこめられ侍よし、樋口の次郎が使せし事共、まのあたり縁起にみえたり」/『奥の細道』。
境内には芭蕉の句碑、斎藤実盛の兜像などが立っています。
多太神社の絵馬も実盛の兜の絵柄。
社宝に寿永2年(1183年)に加賀国篠原で討たれた斎藤実盛着用の甲冑を、木曽義仲が多太神社に奉納したと伝承される兜がありますが、現在の兜は後に修復されたもの(国の重要文化財)。
加賀市柴山町の手塚山公園には斎藤実盛の首を洗ったと伝えられる「首洗い池」、池の畔には木曽義仲と樋口次郎(樋口兼光/ひぐちかねみつ=義仲軍の中心人物)、手塚太郎(手塚光盛/てづかみつもり=斎藤実盛を討ち取った義仲配下の武将)の像が立っています。
多太神社 | |
名称 | 多太神社/ただじんじゃ |
所在地 | 石川県小松市上本折町72 |
関連HP | こまつ観光物産ネットワーク公式ホームページ |
電車・バスで | JR小松駅から徒歩10分 |
ドライブで | 北陸自動車道小松ICから約5km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 多太神社 TEL:0761-22-4089/FAX:0761-22-4089 |
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