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柴山潟

柴山潟

石川県加賀市、かっては、日に七度色を変え、「彩湖」と言われた湖が柴山潟(しばやまがた)。今江潟、木場潟、柴山潟の加賀三湖(海跡湖)のひとつで湖畔には片山津温泉があり、湖に面して片山津温泉が建っています。周囲7kmの柴山潟にはサイクリングロードや湖畔公園が整備され、晴れた日には白山を眺望。

晴れていれば白山を眺望

片山津温泉の沖合400mには70mの高さに噴き上がる大噴水があり(天候によって自動制御)、1日に13回(7月・8月は15回)噴水を噴き上げています。
夜は湖に浮かぶ浮御堂(湯の元公園)とともにライトアップを実施。

今江潟は干拓で姿を消し(今江潟は、小松空港の東にあった湖で干拓後は拓栄町などになっています)、柴山潟も干拓で湖の北側、全体の6割を失っています。
湖の北東、干拓町と名付けられた部分は、今江潟と同様に干拓で姿を消した部分。

加賀三湖の周辺の洪積台地は三湖台と呼ばれ、古墳時代には多くの古墳が造られています。
これは加賀三湖が貝類など豊富な漁業資源が採取できた証。
国営干拓事業により広大な農地が誕生していますが、「えぬ(江沼)のくに」と呼ばれた美しい景観は片山津温泉周辺の柴山潟と木場潟公園(小松市)にのみ残されています。

片山津温泉は柴山潟の湖中に湧いた温泉!

柴山潟で温泉が発見されたのは承応2年(1653年)で、大聖寺藩2代藩主・前田利明(まえだとしあき)が柴山潟に鷹狩りに訪れた際、水鳥が群れている場所があり、温泉の湧出を発見したと伝えられています。
ただし、湖中の温泉だったため、埋め立てに失敗。

さらに7代藩主・前田利物(まえだとしたね)も埋め立てに失敗したため、その後、何度もチャレンジを繰り返していますが、いずれも失敗に終わり、片山津温泉が開湯されたのは、明治15年6月28日のこと。
明治16年には、片山津最初の温泉旅館が開業しています。

松材3万本、埋め立て面積一町歩(約1ha)という大規模な埋め立て工事が行なわれ、人工島に湖岸から橋を架けて、ようやく温泉の利用ができるようになったのです。
干拓に活躍した片山津村の清水伊与門、広瀬次郎七、岡田五平、北出長与門、藤沢長三郎、惣谷小与門の6人は「六名者」として、その功績が讃えられています。

柴山潟
名称 柴山潟/しばやまがた
所在地 石川県加賀市片山津温泉
関連HP 片山津観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR加賀温泉駅から加賀温泉バス片山津温泉行きで20分、片山津温泉下車すぐ
ドライブで 北陸自動車道片山津ICから約4km
問い合わせ 片山津観光協会 TEL:0761-74-1123
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

片山津温泉総湯

石川県加賀市、加賀温泉郷のひとつ、片山津温泉の中心にある共同湯が片山津温泉総湯。柴山潟の湖畔にたたずむガラス張りの建物で、お洒落な美術館のような外観。「潟の湯」、「森の湯」2つの浴室に「まちカフェ」が併設され、2階には白山連峰、柴山潟を眺望

木場潟公園

石川県小松市にある木場潟の湖畔を整備した県営公園(水郷公園)が木場潟公園(きばがたこうえん)。今江潟、木場潟、柴山潟の加賀三湖のひとつが木場潟。今江潟は干拓で姿を消し、湖畔には片山津温泉がある柴山潟も湖の北側、全体の6割を失っており、唯一干

片山津温泉・浮御堂

石川県加賀市片山津温泉、片山津温泉の湖畔にある湯の元公園と浮桟橋で結ばれたのが柴山潟の湖上に建っている浮御堂(うきみどう)。村人を困らせていたおろちが娘の姿をした弁財天の琵琶の力で龍神になったという片山津の伝説「龍神と娘」にちなんで造られた

 

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