木場潟公園

木場潟公園

石川県小松市にある木場潟の湖畔を整備した県営公園(水郷公園)が木場潟公園(きばがたこうえん)。今江潟、木場潟、柴山潟の加賀三湖のひとつが木場潟。今江潟は干拓で姿を消し、湖畔には片山津温泉がある柴山潟も湖の北側、全体の6割を失っており、唯一干拓されずに自然のままの姿を残すのが木場潟です。

加賀三湖の水郷風景が現存

昭和57年10月17日に49.1haが県営公園として周辺の田園風景と調和するように整備、開園した木場潟公園。

平成27年には「第66回全国植樹祭」の会場にもなっています。
中央園地(ドッグラン、パークゴルフ場)、北園地(運動広場)、西園地(展望休憩所、水生植物園)、南園地(貸しボート、貸し自転車)の4つのが整備され、6.4kmの園路「水郷公園・木場潟を巡るみち」が結んでいます。
この園路を使えば、木場潟を一周することができ、1700本の桜が植栽されることから、春には、木場潟越しに残雪の白山、そして満開の桜という絶景を目にすることが可能。

貸し自転車、貸しボート(南園地)、パークゴルフなどがたのしめるほか、「流し舟」も運航。
加賀市旧大聖寺川で運航されていた和船を令和2年に譲り受け、木場潟に伝わる民話「長者のよめとはすのはな」から名付けた「はすの花嫁丸」、木場潟南園地の花菖蒲をイメージした「花しょうぶ丸」の2艘が南園地・流し舟乗り場(南園地駐車場から徒歩5分の東屋集合/木場潟公園ホームページに予約フォームが用意されています)から運航されています。

加賀三湖は、縄文時代に海だった名残り!?

木場潟公園

木場潟は5300年前に海岸線の砂州が発達して入江が外海と遮断し、原型が生まれた海跡湖。
6000年前にピークを迎えた縄文海進(温暖な縄文時代の海面上昇)により、現在の小松市一帯の平野部は、海になりましたが、海の後退、砂の堆積による砂州の発達で、入江が閉ざされて湖が誕生し、徐々に堆積が進み、湖が狭まってきたのが加賀三湖です。

加賀三湖の原型が整ったのは2000年ほど前で、もっとも内陸側にある木場潟が最初に誕生し、次に柴山潟、最後に浅瀬となって残された今江潟ができたと推測されています。
平安時代ころにはまだまだ大きな湖であったことが寛治4年(1090年)に加賀守となった藤原為房(ふじわらのためふさ)の日記『為房卿記』(ためふさきょうき)などからも判明しています。
木場潟周辺の田んぼも、かつては湖やその周囲のヨシの生い茂る湿原だった場所。

かつてはヤマトシジミの産地だった今江潟は、昭和27年に始まった国営加賀三湖干拓建設事業で姿を消し、農地に。
小松空港の南側から御幸塚古墳(小松市今江町6丁目)の北側あたりに広がる田んぼは、かつての今江潟だった場所です。
木場潟も干拓事業で、梯川最下流の安宅に逆水門ができるまでは、汽水湖でした(現在は淡水湖)。

木場潟公園
名称 木場潟公園/きばがたこうえん
所在地 石川県小松市三谷町ら之部58
関連HP 木場潟公園公式ホームページ
電車・バスで JR粟津駅から徒歩20分
ドライブで 北陸自動車道安宅スマートICから約9km
駐車場 924台/無料
問い合わせ 木場潟公園センター TEL:0761-43-3106
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
柴山潟

柴山潟

石川県加賀市、かっては、日に七度色を変え、「彩湖」と言われた湖が柴山潟(しばやまがた)。今江潟、木場潟、柴山潟の加賀三湖(海跡湖)のひとつで湖畔には片山津温泉があり、湖に面して片山津温泉が建っています。周囲7kmの柴山潟にはサイクリングロー

 

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