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暗がり坂

暗がり坂

石川県金沢市主計町(かずえまち)にある小さな石段坂が、暗がり坂。商人の町尾張町と、主計町茶屋街を結ぶ坂道で、主計町茶屋街は、明治維新後に置かれた遊郭があったため、当時は仕事帰りの商人達で賑わっていました。尾張町の商人達は人目を避けて遊郭に通うとき、この坂道を下ったのです。

尾張町の旦那衆が花街へと通った抜け道

花街に入り込めば朝帰りになるという意味を込めて、朝方に鳴くヒヨドリに例え、「ひよどり越え」とも呼ばれていました。
往時にはうっそうとした木々が繁っていたため、暗がり坂、暗闇坂の名が付いたのです。

『高野聖』などで知られる文豪・泉鏡花(いずみきょうか/生家跡に泉鏡花記念館が建っています)は、明治時代、久保市乙剣宮を遊び場に、暗がり坂を、毎日の通学路にして(明治13年入学)、浅野川の対岸にある養成小学校(現・金沢市立馬場小学校)へと通っていました。

坂の上は久保市乙剣宮(くぼいちおとつるぎぐう)の境内で、泉鏡花記念館の裏手、久保市乙剣宮の隅から坂に入る方法がわかりやすいルートです。

暗がり坂
名称 暗がり坂/くらがりざか
所在地 石川県金沢市尾張町
電車・バスで JR金沢駅から金沢周遊バス11分、橋場町(金城楼前)下車、徒歩8分
ドライブで 北陸自動車道金沢東ICから約4.6km
駐車場 東山河畔観光駐車場(14台)・東山観光駐車場(15台)/有料
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

泉鏡花記念館

明治の中頃から、大正、昭和にかけて300編あまりの作品を発表し、徳田秋聲、室生犀星と並んで「金沢三大文豪」にも数えられる泉鏡花の足跡を紹介するのが泉鏡花記念館。泉鏡花記念館は鏡花の生家跡(金沢下新町23番地)に建てられ、作品紹介にとどまらず

主計町茶屋街

金沢の庶民が通った花街(はなまち)が浅野川沿いにある主計町茶屋街(かずえまちちゃやがい)。戦前まで鼻の下を伸ばした男たちは、中の橋をいそいそと渡り、人目に付かないように「暗がり坂」の石段を歩いて、主計町に通ったのだとか。美しい街並みは金沢市

久保市乙剣宮

石川県金沢市下新町、商家が並ぶ尾張町に鎮座する古社が久保市乙剣宮(くぼいちおとつるぎぐう)。江戸時代には卯辰山の真言宗金剛寺と神仏習合でしたが、明治初年の神仏分離で、卯辰山(うたつやま)から現在の地に遷座したもの。祭神は素戔嗚命(すさのおの

鏡花のみち

古都・金沢の三大文豪(泉鏡花、徳田秋聲、室生犀星)のひとり、泉鏡花を偲ぶ浅野川の西岸沿いに設けられた散歩道が鏡花のみち。明治6年11月4日、金沢市下新町(現・尾張町)に生まれ、養成小学校(現・金沢市立馬場小学校)に通った泉鏡花は、久保市乙剣

 

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