泉鏡花記念館

明治の中頃から、大正、昭和にかけて300編あまりの作品を発表し、徳田秋聲、室生犀星と並んで「金沢三大文豪」にも数えられる泉鏡花の足跡を紹介するのが泉鏡花記念館。泉鏡花記念館は鏡花の生家跡(金沢下新町23番地)に建てられ、作品紹介にとどまらず、鏡花の生涯やその独特の美意識に触れることのできる展示となっています。

泉鏡花の作品世界に浸ろう

第一展示室では、鏡花の代表的な5作品(『高野聖』、『草迷宮』、『天守物語』、『義血俠血』、『日本橋』)に描き出された「美しい女性」をクローズアップ。
さらに美にこだわった泉鏡花の鏡花本といわれてまでに凝りに凝った本の装丁を紹介しています。
第二展示室には、泉鏡花の遺品を展示し、幻想文学の傑作といわれる『春昼』のワンシーンをサウンド入りジオラマで紹介し、泉鏡花の作品世界に迫っています。
第三展示室では企画展を開催。

記念館に使われる木造瓦葺き2階建ての主屋と土蔵3棟は、泉鏡花の生家ではありませんが(明治時代の火災で生家は焼失)、金沢らしい町家なので、泉鏡花の作品世界を知るにはピッタリの空間になっています。

泉鏡花
泉鏡花(いずみきょうか)は、明治6年11月4日、金沢市下新町生れ。
父は象眼細工・彫金の職人。
尾崎紅葉に師事し、『高野聖』で人気作家入りをはたします。
幻想文学の先駆者。
養成小学校(現・金沢市立馬場小学校)に通うときに、母を出産直後に産褥熱のために失っています。
尾崎紅葉の『二人比丘尼 色懺悔』を読んで文学を志します。
昭和14年9月7日、癌性肺腫瘍のため逝去。墓所は雑司ヶ谷霊園。
平成11年、生家跡に泉鏡花記念館が開館。

 

泉鏡花記念館
名称 泉鏡花記念館/いずみきょうかきねんかん
所在地 石川県金沢市尾張町2-12-7
関連HP 泉鏡花記念館公式ホームページ
電車・バスで JR金沢駅から北陸鉄道バス橋場町経由柳橋・東部車庫行きで10分、橋場町下車、徒歩3分
ドライブで 北陸自動車道金沢東ICから約4.2km
駐車場 金沢蓄音器館との共同駐車場(4台/無料)、東山河畔観光駐車場(14台/有料)・東山観光駐車場(15台/有料)などを利用
問い合わせ 泉鏡花記念館 TEL:076-222-1025/FAX:076-222-1040
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
暗がり坂

暗がり坂

石川県金沢市主計町(かずえまち)にある小さな石段坂が、暗がり坂。商人の町尾張町と、主計町茶屋街を結ぶ坂道で、主計町茶屋街は、明治維新後に置かれた遊郭があったため、当時は仕事帰りの商人達で賑わっていました。尾張町の商人達は人目を避けて遊郭に通

瀧の白糸像

瀧の白糸像

石川県金沢市並木町、浅野川の河畔にある泉鏡花(いずみきょうか)の出世作『義血侠血』』(ぎけつきょうけつ)のヒロイン、瀧の白糸をかたどった像が瀧の白糸像。明治27年に発表された泉鏡花の『義血侠血』は、のちに『瀧の白糸』の名目で上演され、新派の

久保市乙剣宮

久保市乙剣宮

石川県金沢市下新町、商家が並ぶ尾張町に鎮座する古社が久保市乙剣宮(くぼいちおとつるぎぐう)。江戸時代には卯辰山の真言宗金剛寺と神仏習合でしたが、明治初年の神仏分離で、卯辰山(うたつやま)から現在の地に遷座したもの。祭神は素戔嗚命(すさのおの

鏡花のみち

鏡花のみち

古都・金沢の三大文豪(泉鏡花、徳田秋聲、室生犀星)のひとり、泉鏡花を偲ぶ浅野川の西岸沿いに設けられた散歩道が鏡花のみち。明治6年11月4日、金沢市下新町(現・尾張町)に生まれ、養成小学校(現・金沢市立馬場小学校)に通った泉鏡花は、久保市乙剣

宝泉寺

宝泉寺

石川県金沢市、金沢市街の東に位置する卯辰山(うたつやま)の中腹にあり、金沢の鬼門を封じるために開山された摩利支天を祀る寺が摩利支天山宝泉寺。建仁寺塔頭・禅居庵摩利支尊天堂、東京・上野アメ横の摩利支天徳大寺とともに日本三大摩利支天にも数えられ

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

ABOUTこの記事をかいた人。

アバター画像

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ