瀧の白糸像

瀧の白糸像

石川県金沢市並木町、浅野川の河畔にある泉鏡花(いずみきょうか)の出世作『義血侠血』』(ぎけつきょうけつ)のヒロイン、瀧の白糸をかたどった像が瀧の白糸像。明治27年に発表された泉鏡花の『義血侠血』は、のちに『瀧の白糸』の名目で上演され、新派の代表的狂言のひとつとなり、その後映画化、オペラ化もされています。

浅野川畔「鏡花の道」に立つ瀧の白糸の像

瀧の白糸像

泉鏡花は、明治6年、金沢市下新町(現在の尾張町)に生まれ、金沢を舞台とした作品を数多く残していますが、『義血侠血』もそのひとつ。
水芸(本物の水を用いて行う曲芸)の名手・瀧の白糸と、士族の出ながら父を失い、学業半ばで乗合馬車の御者となった村越欣弥(むらこしきんや)は、越中(現・富山県)・高岡で出会い、金沢・浅野川に架る天神橋で再会、互いに想いを重ねるのです。
つまり、天神橋は『義血侠血』の重要な舞台になっています。
そのため、天神橋〜梅ノ橋の間、梅ノ橋近くに瀧の白糸像が立てられているのです。

泉鏡花が好んで散策をした浅野川の畔は「鏡花の道」(天神橋〜梅ノ橋〜浅野川大橋~中の橋)として親しまれ、主人公の瀧の白糸の像や碑が立てられています。

瀧の白糸像は、瀧の白糸が水芸太夫であったことから、像の扇子から水が出る仕組み。
像のモデルは、ひがし茶屋街で昭和23年にお座敷デビュー、昭和36年に常磐津(ときわづ)の名取となった名妓・美ち奴です。

説明版には「河は長く流れて向山の松風静に渡る処、天神橋の欄干に凭(もた)れて」と『義血侠血』の一節が記されています。

平成26年2月に新国立劇場で、新作オペラ『滝の白糸』東京公演が行なわれ、近年はオペラファンの来訪も増えています。

瀧の白糸像
名称 瀧の白糸像/たきのしらいとぞう
所在地 石川県金沢市橋場町
電車・バスで JR金沢駅から周遊バスで10分、橋場町下車、徒歩5分
ドライブで 北陸自動車道金沢東ICから約4.6km
駐車場 東山河畔観光駐車場(14台)・東山観光駐車場(15台)/有料
問い合わせ 泉鏡花記念館 TEL:076-222-1025/FAX:076-222-1040
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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