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ハニベ巌窟院

ハニベ巌窟院

石川県小松市立明寺町に昭和26年、初代院主・都賀田勇馬(つがたゆうま)が開創した洞窟寺院。ハニベとは古代、埴輪(はにわ)などを制作した土部師(はにべし)のこと。つまりは、ハニベ巌窟院とは、彫塑家が開創した洞窟寺院ということに。高さ15mというハニベ釈迦牟尼大仏の巨大な仏頭も完成して、威風を示しています。

ハニベ釈迦牟尼大仏の巨大な頭部がシンボルに

初代院主の都賀田勇馬は、明治24年、金沢に生誕。
石川県立工業学校を経て東京美術学校に入学、朝倉文夫に師事した芸術家。
大正10年『第3回帝展』に初入選し、以後連続して入選しています。
戦後は昭和22年、23年『日展』で特選受賞。
安宅の関にある弁慶と富樫左衛門尉の銅像は、昭和15年、49歳の時の作品です。

60歳となる昭和26年、世俗を離れ、それまでの地位・名誉・暮らしのすべてを捨て、世界平和と人類繁栄を願ってハニベ巌窟院を開創。

ハニベ釈迦牟尼大仏は、初代院主・都賀田勇馬が建立を計画し、雛型と同寸の頭部のみを製作したもので、完成すると高さ33mの大仏となる予定なのだとか。

洞窟は、往時の鵜川石切り場(土台石として使われる立明寺石=角礫質凝灰岩の石切り場跡です)を再生したもの。
150mほどの洞内には、初代・都賀田勇馬、長男の都賀田伯馬(2代院主)が制作した不動明王、阿弥陀如来など、おびただしい数の仏像群が安置されています。
釈迦一代記、インド彫刻、地獄めぐりの仏像群は、彫刻美術館といっても差し支えないほど。

また、ハニベ巌窟院近くには、最盛期には人口5000人もの鉱山町を形成した遊泉寺銅山跡があり、遊泉寺銅山ものがたりパークとして整備されています。

ハニベ巌窟院
名称 ハニベ巌窟院/はにべがんくついん
所在地 石川県小松市立明寺町イ1
関連HP ハニベ巌窟院公式ホームページ
電車・バスで JR小松駅からタクシーで15分
ドライブで 北陸自動車道小松ICから約10km
駐車場 50台/無料
問い合わせ ハニベ巌窟院 TEL:0761-47-3188/FAX:0761-47-0059
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

安宅の関

石川県小松市、梯川河口の港町・安宅にあったという中世の関所跡が安宅の関(あたかのせき)。能『安宅』、歌舞伎『勧進帳』で、山伏に変装し、奥州・平泉へと落ち延びる源義経と弁慶の一行が、関守・富樫左衛門尉に見とがめられたという物語が、江戸時代から

遊泉寺銅山ものがたりパーク

石川県小松市鵜川町にある安永元年(1772年)に創業し、大正9年に閉山した遊泉寺銅山(ゆうせんじどうざん)の跡地を利用したのが遊泉寺銅山ものがたりパーク。世界的建設機械メーカーのコマツ(小松製作所)も遊泉寺銅山の鉱山機械製造として創業し

鵜川石切り場

石川県小松市立明寺町、ハニベ巌窟院(はにべがんくついん)近くにあるのが鵜川石切り場。飛鳥時代の河田山古墳(飛鳥時代)の石室から近世の小松城の石垣、そして近代建築にも使われる角礫凝灰岩石材の石切り場の跡で、水が溜まった洞内は、「青の洞窟」のよ

 

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