サイトアイコン ニッポン旅マガジン

岡藩の城下町・竹田、「歴史の道」を歩いてその魅力を探る!

城下町・竹田、「歴史の道」を歩いてその魅力を探る

大分県南西部に位置する竹田市(たけたし)は、藩政時代の岡藩の面影を色濃く残す城下町。竹田市城下町交流プラザに併設された案内所で情報収集。高台に建つ広瀬神社、岡神社から城下を俯瞰し、竹田荘公園、殿町武家屋敷通りを散策。歴史の香り漂う城下町で束の間のタイムスリップを体験しました。

まずは「竹田市城下町交流プラザ」で情報を入手

隈研吾設計の「竹田市城下町交流プラザ」
広々とした広場も

24時間誰でも使える駐車場を完備した集会所「竹田市城下町交流プラザ」は、令和2年4月にオープン。

設計は国立競技場、JR東日本・高輪ゲートウェイ駅でも知られる、隈研吾(くまけんご)氏。
え、ここも隈研吾氏?と思いきや、地元竹田産の竹と焼き杉を使ったデザインは、モダンで開放的!
なるほど、隈研吾氏が全国あちこちで起用されるのが頷ける天然素材づかいの美しさが際立ちます。

敷地内には観光案内所が併設されていますので、散策前に案内所に立ち寄って市街地の見どころを教えてもらいました。

Copyright.Photography by Masaki Hamada(kkpo)

コミュニティルームはギャラリーとして活用されることも

広瀬神社境内にある展望スペースから竹田の城下町を一望

広瀬神社社前に立つ広瀬中佐の立像

広瀬神社は、豊後国竹田で生まれ、日露戦争の旅順港閉塞作戦で戦死し、戦前は軍神と崇められた海軍軍人、広瀬武夫中佐を祀った神社です。

NHKのスペシャルドラマ、司馬遼太郎(しばりょうたろう)原作の『坂の上の雲』(平成21年~平成23年放送)の中で、オリンピックに水泳選手として出場した経験を持つ俳優・藤本隆宏さん(広瀬武夫役)の好演が思い浮かびます。
ロシア留学中の広瀬中佐とコワリスキー大佐の娘・アリアズナのラブロマンスも悲しいお話でした。

広瀬神社境内には広瀬武夫中佐の遺品を展示した「広瀬武雄記念館」があります。
展示室の下には戦艦「朝日」のカッター(手こぎボート)が展示されており、若き日の広瀬武夫が指揮官となって乗り組んだカッター競技では、見事優勝をしたというエピソードも残されています。

麓にある鳥居の前には「明治の国際人」というタイトルが付いた広瀬中佐の凛々しい銅像が大空を仰いでいます。

併設される広瀬武夫記念館
展示される戦艦「朝日」のカッター
旅順港閉塞作戦で使用された石が嵌め込まれた戦没者碑

岡神社は丘の上から竹田の城下町を見守っている

岡神社は、元和4年(1618年)、岡藩2代藩主・中川久盛(なかがわひさもり=農業用水路・緒方井路を開削、米どころ緒方町「緒方五千石」の基礎を築いた藩主)が京の愛宕神社(あたごじんじゃ=火伏せの神様)を勧請、岡城の城北の守護のとして祀ったのが始まりという岡藩ゆかりの社。

明治41年に付近の数社を合祀して、広瀬神社と同じ丘の上に遷座し、岡神社となりました。
現存する社殿は幕末のもので、その造りは江戸時代建築の特徴を残した、美的価値の高い社寺建築です。

敷地内には大晦日に鐘つき体験もできる鐘楼がありますが、実はこの鐘、岡城の時の鐘。
延宝3年(1675年)に4代藩主・中川久恒(なかがわひさつね=藩内の治安、文治教育に尽力した藩主)が設置、その後、250年にわたって城下に鐘の音を響かせましたが、現在では藩主・中川氏ゆかりの岡神社の鐘楼に下がっています。

岡神社鐘楼

城下町観光の要となる散策路「歴史の道」を歩く

岡藩の城下町を歩く、「歴史の道」は、かつて岡藩の藩校の名を冠したミュージアム「竹田市歴史文化館・由学館」(ゆうがくかん)を起点に正門横の石畳からスタートします。
石畳の坂道を登りきり、階段を上がった高台には江戸時代後期の文人画家・田能村竹田(たのむらちくでん)ゆかりの竹田荘公園があり、ここからも竹田の城下町が横長に俯瞰できます。

「歴史の道」に戻り坂を下ると、そこは殿町武家屋敷に続く通り。
ここからの見どころはキリシタン洞窟礼拝堂(岩盤に掘り込まれた内部がドーム状の祭壇という戦国時代末期のキリシタン遺構)、そして20mに渡って13軒が現存するという武家屋敷。

家老や中級武士が暮らした武家屋敷には長屋門も残され、振り返ると、ひょっこり武家屋敷からお侍が現れるような感じがする不思議な空間です。

竹田荘公園から城下町を俯瞰

取材(執筆・撮影)/板倉あつし
取材協力/公益社団法人ツーリズムおおいた

岡藩の城下町・竹田、「歴史の道」を歩いてその魅力を探る!
所在地 大分県竹田市竹田
関連HP 竹田市観光ツーリズム協会公式ホームページ
電車・バスで JR豊後竹田駅から徒歩7分で竹田市城下町交流プラザ
ドライブで 東九州自動車道大分光吉ICから約39km
問い合わせ 竹田市まちづくり文化財課 TEL:0974-63-1111
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

大分県内で一番古い老舗の和菓子店「但馬屋老舗」を訪ねる

大分県下で一番古い、豊後竹田の和菓子店「但馬屋老舗」(たじまやろうほ)の創業は文化元年(1804年)。ナポレオン・ボナパルトがフランス皇帝に就任、オーストリア帝国が成立、日米修好通商条約を締結したタウンゼント・ハリスが誕生した年でした。22

竹田市歴史文化館・由学館

大分県竹田市、岡城の城下町、下殿町の武家屋敷群の一角、殿町武家屋敷通り(歴史の道)沿いにある豊後竹田の歴史を紹介するミュージアムが、竹田市歴史文化館・由学館。館内には、「岡城ガイダンスセンター」、企画展・特別展を開催する「特別展示室ちくでん

広瀬神社(広瀬武夫記念館)

大分県竹田市の市街中心部、岡城の城下町を見下ろす絶好の地に建つ神社が、広瀬神社。祭神は、日露戦争での武勇で知られ、戦時中に軍神として神格化された当地出身の海軍中佐・広瀬武夫(ひろせたけお)。境内には広瀬武夫記念館もあり、遺品などを展示してい

旧竹田荘

大分県竹田市、「歴史の道」として整備された殿町武家屋敷通りの一角、上殿町通りにある、田能村竹田(たのむらちくでん)の邸宅(国の史跡)が、旧竹田荘(きゅうちくでんそう)。高台に位置する旧宅は、現存する武家屋敷のなかでは、唯一公開されている施設

殿町武家屋敷通り(歴史の道)

大分県竹田市、藩政時代、武家屋敷が建ち並んでいた岡城下の殿町の通りが、殿町武家屋敷通り(歴史の道)。現在は歴史の道として、整備され、石畳の散策路に武家屋敷の土塀や長屋門、寺院などが点在するさまは、藩政時代を彷彿とさせる景観になっています。岡

切支丹洞窟礼拝堂跡

大分県竹田市の岡城の城下町、殿町にある潜伏キリシタンの礼拝堂跡が切支丹洞窟礼拝堂跡。かつてこの殿町一帯には武家屋敷が軒を連ね、今でも城下町の風情が色濃く残されています。そんな殿町の谷あいにあるのが、切支丹洞窟礼拝堂。岡藩の上級武士である古田

大分に行こう!(2)岡藩の城下町・竹田は、大注目の「むかし町」だった!

瀧廉太郎ゆかりの地としても知られる大分県竹田市(豊後竹田)。岡城と瀧廉太郎が有名ですが、取材して実感したのが、城下町。武家屋敷群が残り、そして城下町ならではの老舗和菓子店も健在。藩政時代の町割りが残される「むかし町」は、実に絵になる場所だっ

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了