サイトアイコン ニッポン旅マガジン

岩国藩鉄砲隊初放し|岩国市

岩国藩鉄砲隊初放し(岩国市)

1月1日13:30頃〜、山口県岩国市で恒例の『岩国藩鉄砲隊初放し』を開催。石田三成が興した石田流の流れを汲む岩国藩鉄砲隊が錦帯橋下河原で初撃ちを行なうもの(雨天中止)。岩国藩鉄砲隊は、岩国藩初代藩主・吉川広家が設立したもの。現在の岩国藩鉄砲隊は、その技を継承し、観光に役立てようと昭和62年4月に有志が集まり復興。

岩国藩鉄砲隊見参! 見事な演武を披露

胴の前面に吉川(きっかわ)家の家紋である「蛇の目九曜」(じゃのめくよう)を描いた鎧に身を包み、江戸時代に製作された古式銃を構えた隊員が「火蓋を切れ」「放てー!」の号令のもと火縄銃を発射し、銃声の轟音が城山にこだまします。
一斉に火縄銃を撃つ「立ち放し」、連射する「連れ早放し」などの古式砲術を披露。

岩国藩鉄砲隊は、錦帯橋畔鵜飼広場で定期訓練を行ない、吉川史料館昌明庭で『瑞風歓迎演武』も行なっているほか、『錦帯橋まつり』などのイベントでその技を見せてくれます。

岩国藩鉄砲隊
関ヶ原の合戦の西軍(石田三成軍)の総大将に担ぎ出されたのが毛利輝元。
合戦の敗北により、中国8ヶ国112万石から周防(すおう)、長門(ながと)の2ヶ国36万9000石に減封となります。
出雲富田城(いずもとだじょう=現・島根県広瀬町、14万石)の城主だった吉川広家(毛利元就の孫で、関ヶ原合戦では徳川方と密かに接触し、毛利軍の参戦を回避)も、岩国を本拠とする3万石へと減封されています。
元禄10年(1697年)の岩国藩御家人帳には家臣の数1476人、その中に鉄砲組と称する足軽4組250人が記録されています。
岩国藩には、高島流、有坂流、荻野流、石田流などの砲術流派があったとされますが、岩国藩鉄砲隊は石田流を後継しています。
岩国藩鉄砲隊初放し
開催日時 1月1日13:30頃〜※雨天中止
所在地 山口県岩国市錦帯橋下河原
場所 錦帯橋下河原
関連HP 岩国市公式ホームページ
電車・バスで JR岩国駅から市営バス錦帯橋・新岩国方面行きで20分、錦帯橋バスセンター下車
ドライブで 山陽自動車道岩国ICから約5km
問い合わせ 岩国市観光振興課 TEL:0827-29-5116
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

錦帯橋

2017年9月28日

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了