亀山公園
山口県山口市、山口市街の中心部に亀に似た小高い丘があり、亀山と呼ばれていますが、その山頂部に広がるのが亀山公園(かめやまこうえん)。かつて毛利秀元が築城途中で断念したという長山城跡と伝えられ、山頂広場には幕末に倒幕を主導…
山口県山口市、山口市街の中心部に亀に似た小高い丘があり、亀山と呼ばれていますが、その山頂部に広がるのが亀山公園(かめやまこうえん)。かつて毛利秀元が築城途中で断念したという長山城跡と伝えられ、山頂広場には幕末に倒幕を主導…
山口県山口市、香山公園(こうざんこうえん)内、枕流亭(ちんりゅうてい)すぐそばに建つ茶室が、露山堂。もとは13代藩主・毛利敬親(もうりたかちか)が、萩からの藩庁移転に伴い政事堂の藩主居館近く(現在の山口県庁付近)の一露山…
山口県山口市、香山公園(こうざんこうえん)・墓所東に移築されている歴史的建造物が、枕流亭(ちんりゅうてい)。幕末の慶応3年(1867年)、この町家2階の畳敷きの一室に、薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通らが訪れ、桂小五郎(木戸…
山口県美祢市美東町、秋吉台の東北部にある石灰洞穴(鍾乳洞)が、大正洞。戦乱の世に、里人が牛を奪われるのを恐れ、鍾乳洞に牛を隠したことから「牛隠しの洞」との別名も。当時は入口100平米ほどしか知られておらず、大正10年に内…
山口県下関市豊田町、山口県道34号(下関長門線)沿い、大化の改新の条里遺構(律令時代の条里制の遺構)が残る一帯にある道の駅が、道の駅蛍街道西ノ市。長門鉄道のSLで、「長門ポッポ」と呼ばれた長門鉄道101号(ながとてつどう…
山口県下関市豊田町、山口県道34号(下関長門線)沿い、大化の改新の条里遺構(律令時代の条里制の遺構)が残る一帯にある道の駅が、道の駅蛍街道西ノ市。西ノ市温泉「蛍の湯」、レストラン「万作」、梨ソフトクリームが人気の物販コー…
山口県下関市唐戸町、唐戸市場とカモンワーフの間、ウォーターフロントに立つのが、聖フランシスコ・ザビエル下関上陸の地碑。天文19年(1550年)、ザビエル一行は肥前国・平戸(現・長崎県平戸市)から京を目指し、周防国(すおう…
山口県下関市唐戸町、唐戸市場と市立しものせき水族館「海響館」の間に位置する鮮魚、水産加工品など下関ならで食材を販売する店やみやげ店、飲食店など50店が入るシーサイドモールが、カモンワーフ。関門海峡を望むロケーションの中、…
眼下を流れる錦川を天然の外堀にする岩国城(岩国市)、幕末を除いて長州藩の藩庁で、世界文化遺産の構成資産にもなっている萩城(萩市)が日本100名城選定、そして大内文化を今に伝える山口市の大内氏館・高嶺城が続日本100名城に…
山口県山口市二保中郷のKDDI山口衛星通信センターに併設の展示資料館が、KDDIパラボラ館。敷地には大小20基を数えるパラボラアンテナが林立し、インド洋、大西洋上の通信衛星などを中継し、世界各国との電話、テレビ、船舶や航…
山口県山口市仁保中郷にあるKDDIの国内唯一の国際通信施設が、KDDI山口衛星通信センター。山口衛星地球局と称される日本最大の衛星通信施設で、20基のパラボラアンテナが並び、インテルサット( Intelsat=国際電気通…
山口県防府市車塚町にある墳丘長53mの前方後円墳が、車塚古墳。天御中主神社(あめのみなかぬしじんじゃ/車塚妙見神社)の境内にあり、墳丘くびれ部を削平して社殿が建っています。埋葬施設は後円部・前方部に各1基の横穴式石室があ…
2024年1月26日(金)~3月3日(日)⽇没(17:30頃)〜22:00、山口県長門市(ながとし)の長門湯本温泉で、童謡詩人・金子みすゞの詩をテーマにした明かりイベント『音信川うたあかり』(おとずれがわうたあかり)が行…
山口県山口市上竪小路、龍福寺(大内氏館跡)の北側に、築山神社と並んで建つのが、八坂神社。応安2年(1369年)、大内氏9代・大内弘世(おおうちひろよ)はが京・祇園感神院 から勧請した祇園社で、もとは大内氏の迎賓…
山口県山口市中尾にある大内氏遺跡の一部として国の史跡に指定されているのが、凌雲寺跡(りょううんじあと)。大内氏14代・大内義興(おおうちよしおき)が了庵桂悟(りょうあんけいご)を開山として、永正4年(1507年)頃に創建…
山口県山口市大殿大路にある曹洞宗の寺が、龍福寺(龍福禅寺)。建永元年(1206年)、弘治3年(1557年)、毛利隆元(もうりたかもと)が大内義隆の菩提寺として再興。一帯は大内氏の居館(大内館)跡で、国の史跡。明治16年に…
山口県山口市大殿大路にある大内氏の居館跡が、大内氏館跡。西の京と称され中世に大内文化を花開かせた大内氏の居館は、大内弘世(おおうちひろよ)が周防(すおう)、長門(ながと)平定後、防長両国の守護となり、正平15年・延文5年…
山口県山口市上宇野令、標高338mの鴻ノ峰に築かれた中世の山城が、高嶺城(こうのみねじょう)。西の京として繁栄した大内氏ですが、戦国時代にはその権勢にも陰りを見せ、大内義長(おおうちよしなが)が山麓の居館に対し詰めの城と…