山口さんのルーツを探せ!

全国47都道府県と同じ名前を持つ苗字はどのくらいあるのだろうか。
石川さん、宮崎さん、千葉さんなどという姓にもお目にかかるが、なんといっても山口さんが一番多いに違いない。
一方、北海道さん、京都さん、愛媛さん、沖縄さんといった姓の人にはお目にかかったことがない。
ぐっさんこと山口智充は、大阪府四條畷市出身。山口百恵は東京都渋谷区、タレントの山口もえは東京都台東区、TOKIOの山口達也は埼玉県草加市と実は山口県出身の有名人はほとんど見あたらない。
必死に探して、戊辰戦争に奇兵隊嚮導役として従軍、明治末の陸軍大将・山口素臣(やまぐちもとおみ)くらい。

というわけで、山口さんのルーツを探すのだから、まずは最初に山口県庁のある山口市へと向かった。
もっとも、山口県は毛利の大内氏が治めた国のはずで、山口氏の土地ではないのではないか?
けれども、現在の山口市、周防国山口に由来する山口氏という流れがあるのかもしれない。

山口県がルーツの山口氏は牛久に!

廃藩置県の際、県庁が置かれた山口町(現・山口市)の町名がそのまま県名に採用。
山口県教育委員会にそのあたりを確認すると、
1.長門国(ながとのくに)の方へ行く山道の入口であったことから山の口。
2.『続日本紀』(しょくにほんぎ)にある逵理山(きりやま)、現在の東鳳翩山(ひがしほうべんざん=長門山地の主峰、山口県山口市と山口県萩市に跨る標高734.2mの山)にあった銅鉱山(吉敷郡切畑の銅山)の入口であったことから里人が山口と称した。
3.もともと山口氏という豪族が古城山に城を構かまえていた。
と3つの説があるとのこと。
ちなみに山口さんの数でいえば、山口県では90位と断然少ないのであるから、豪族の山口さんは滅亡したのだろうか?

いたいた、といっては失礼だが、山口を居城とした戦国大名大内氏の子孫が、江戸時代牛久藩主の山口氏となり、明治維新まで12代にわたって譜代大名として存続している。

牛久藩12代の大名である牛久山口氏は、大内義弘の次男大内持盛を祖とし、大内氏の本拠地周防国山口の地名をとって山口氏と称したという。
初代山口重政は、尾張出身。尾張に移り先祖の出身地を苗字にしたのだという。織田信雄(織田信長の次男)の家臣・佐久間正勝に仕え、小牧・長久手の戦いに参戦。以後徳川秀忠に仕えた。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは徳川秀忠軍に従って真田昌幸が守る信濃上田城攻撃に参加。その戦功により、上総国5000石、武蔵国5000石の所領を与えられ合計1万石を領する大名になる。
その後、下野国に5000石を加えられ、1万5000石となっている。

第2代藩主山口弘隆のとき領地が常陸国、下総国に集められ、牛久に陣屋を構えて牛久藩は山口氏の支配で明治時代にまで至る。
牛久陣屋は旧牛久城外郭内の西端、牛久沼に接する台地端にあり、3720坪の敷地だったという。
寛文9年(1669年)、牛久藩2代藩主・山口弘隆が築き、牛久藩の藩庁が置かれた牛久陣屋跡(茨城県牛久市城中町/下の地図参照)。
牛久沼の畔にある陣屋内には13室を備えた御殿もあった。現在、陣屋跡地は小公園となっている。
ちなみに牛久藩の江戸上屋敷は、現在のアメリカ大使館の場所だ。牛久の陣屋には藩主が半年(2月〜8月)滞在した。

名古屋市の鳴海と笠寺もルーツ

同じ周防大内氏の流れの山口氏では尾張国笠寺(名古屋市南区)付近の土豪・山口教継(やまぐちのりつぐ)がいる。
織田信長の父・織田信秀に従い、駿河国の今川義元に備えるべく鳴海城(なるみじょう/TOPの写真が鳴海城跡)を守った。
信秀没後は織田信長に反旗を翻し、今川義元に通じ、子の山口教吉に鳴海城を任せるが、教継父子は義元により切腹に追い込まれている。
笠寺観音と呼ばれる古刹、笠覆寺(りゅうふくじ)は山口家が尊崇した寺

名古屋城を守る「尾張四大観音」のひとつ笠寺観音

名古屋城を守る「尾張四大観音」のひとつ笠寺観音

東京の山口さんは所沢がルーツか?

ところで、東京近郊の者にとって、山口といえば遠足で出かけることもある山口貯水池を思いだすかもしれない。山口貯水池というのだから、当然土地の名前も山口だし、山口姓の一つのルーツではあるまいか。
──あたりである。
武蔵国多摩郡村山を領した平頼任(よりとう)が武蔵七党の村山党の祖となり、その孫の村山家継(平安時代末期の武将)が入間郡山口に住み山口を名乗ったのが武蔵山口氏の始まりであるという。
村山貯水池の南岸に村山党の村山氏の本拠地があり、北岸に山口氏の居城跡がある。
平安時代末期に武蔵七党村山党の山口家継の築城したという山口城には堀と土塁の一部が現存する。山口氏の歴代居館として戦国時代まで利用されていた。
また、山口城址の近くに山口氏の菩提寺の瑞岩寺(埼玉県所沢市山口)もある
瑞岩寺は室町時代の創建で、山口氏3代の墓とされる3基の五輪塔・宝篋印塔などがある。
埼玉・東京周辺の山口さんなら大切なルーツだろう。

古代からの歴史を伝える奈良県

ここまで、山口という名前から山口氏のルーツを少々追いかけてみたのだが、実は山口姓は、大和国城上郡長谷郷山口を発祥地とする古代の豪族で、武内宿禰の子孫であるという。山口臣(おみ)、山口直(あたい)、山口忌寸(いみき)など、古代の山口さんも様々な場所で登場している。

奈良県桜井市初瀬字手力雄にある長谷山口坐神社(はせやまぐちにいますじんじゃ)。天平2年(730年)の『大和大税帳』には長谷山口の名があるといい、本殿東の山上には磐境(いわさか)もあり、古代からの古社であることがわかる。
宮殿造営のための御料材伐採のため、あるいは水源確保のため山の入口を守る大切な役割があったのかもしれない。
その他、大和国(奈良県)には、穴虫大坂山口神社(奈良県香芝市穴虫)、畝火山口神社(奈良県橿原市大谷町)などといった由緒正しい神社が揃っている。さて、山口氏との関連は見つかるであろうか?

山口氏は他に、駿河国三浦郡山口を発祥とする桓武平氏三浦氏族、陸奥国遠野保山口を発祥とする遠野阿蘇沼氏族、信濃国の清和源氏赤井氏族、但馬国の日下部氏族、周防国の菅原氏族など多彩。
山口がつく神社を探してみれば、尾張国山田郡山口の山口神社から古代氏族の山口氏が生まれている(尾張国山田郡山口郷は現在の瀬戸市山口町一帯)。
 
山口姓は佐賀と長崎両県の大姓1位で、近畿から東北にかけても広く分布するが、山口県では90位というから面白い。

家紋は、主家の大内菱や山口菱が有名。他に唐菱、山口撫子、山口笹、牡丹、丸に雁金、鷹の羽、笹竜胆、飛雀、片喰(かたばみ)、桔梗など。

協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)

 

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