清水さんのルーツを探せ!

アウトドア愛好者として知られる元「あのねのね」の清水国明は、福井県大野郡和泉村(現大野市)出身。
モノマネが得意なタレントの清水ミチコは、岐阜県高山市出身。
お笑いの清水圭は、京都府宇治市。
ものまねタレントの清水アキラは、長野県下高井郡山ノ内町出身。
清水さんのなかで、ダントツに有名な、清水次郎長は、残念ながら本名は山本長五郎。
清水湊の出身なので、清水の次郎長。さしずめ静岡市清水区となった現代なら「静岡の次郎長」となる。

知っておきたい清水宗治のこと

まあしかし、次郎長が侠客の中の侠客と言うならば、同じ清水姓のなかに、元の居城は備中清水城(岡山県総社市井手)で、後に備中高松城主(岡山市北区)となった、武士の中の武士、清水宗治(しみずむねはる/トップの絵)がいる。

現在公園として整備された備中高松城に出かけてみよう。
天正10年(1582)、豊臣秀吉は三木城、鳥取城を落とし、その勢いで清水宗治の籠もる高松城へと軍を進めた。
ここが、大河ドラマ『軍師官兵衛』のハイライトの部分。軍師・黒田孝高(官兵衛)の助言で秀吉は、城の周囲に堤を築いてぐるりと囲み、足守川の水を引き込むという、いわゆる「水攻め」を行なう。

この時、明智光秀の謀反、有名な「本能寺の変」が起こり、秀吉は毛利方の外交官・安国寺恵瓊を仲介役に和議を成立。
湖に浮かぶ孤島のようになってしまった高松城の城主清水宗治は、船を城内から漕ぎ出すと船上で酒を飲み交わし、舞を謡った後に自刃する。
城兵の命と引き替えに自らの命を絶ったのである。数え年45歳であった。
後に秀吉は「宗治は武士の鑑であった」と絶賛したという。
ここで、官兵衛は「天下取りの好機」とばかりに中国大返しで、秀吉軍は一気に明智光秀のもとへと駆け戻る。

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備中高松城跡
備中高松城跡

「武士の鑑」と讃えられた清水宗治は、備中国賀陽(かや)郡清水村(現在の岡山県総社市井手)の出身。
岡山県総社市井手には清水という字名も残されており(清水公会堂周辺)、全国の清水さんのルーツ&パワースポットになっている。

──清水宗治を輩出した備中国の清水氏は、賀陽郡清水を発祥とする桓武平氏で、子孫は長州藩の重臣となる。
仙台藩士の清水氏もこの一族という。

伊豆水軍のリーダーもいる

また、伊豆国下田城城主(静岡県下田市)の清水氏は、後北条氏の家臣となった藤姓清水氏の一族で、北条氏の重臣となった3代目・清水康英(しみずやすひで)は、伊豆国では最大の知行を得るほどにまで成長した。
甲斐武田氏の武田水軍と駿河湾で幾度も海戦を繰り広げた伊豆水軍の猛者だ。
『北条氏所領役帳』には、伊豆衆二十九人衆の筆頭と記さ、北条氏康の参謀だったと推測されている。
豊臣秀吉の小田原攻めの際に、下田城は開城し、清水康英は、千手庵(現・三養院/静岡県賀茂郡河津町川津筏場)で隠栖する。
この三養院は清水家の菩提寺で、康英と妻子の3人が身を寄せたので、三養院と改めたのだという。
関東や静岡の清水さんなら、三養院は重要なパワースポットに違いない。
伊豆水軍の拠点となった下田城は、今は『あじさい祭』で知られる下田公園になっている。
清水康英が生まれたのは、加納矢崎城(静岡県賀茂郡南伊豆町加納)だが、現在城跡は澤田歯科医院の私有地となっている。

下田公園では6月に『あじさい祭』が開催される
下田公園では6月に『あじさい祭』が開催される

山形県にも大切なルーツが

出羽国の清水氏は、清和源氏斯波氏流最上氏の一族で、斯波兼頼(しばかねより)の曾孫の成沢満久が最上地方へ進出、その拠点として清水城(山形県最上郡大蔵村)を築いて居城とし、それ以降清水氏を名乗ったという。
出羽(山形県)で産する紅花(べにばな)は最上川を下り、北前船で京へと運ばれたが、その中継地としても重要な役割を担った場所だ。
最上川を見下ろす高台に築城された清水城には、土塁、空堀等が残され中世の城郭構造が分かる貴重な史跡となっている。
清水氏7代の居城、清水城一帯の大字も清水で、やはり清水さんの重要なルーツのひとつ。
清水家は7代目の清水義親(最上義光の三男・大蔵大輔=大蔵村の村名の由来)の時に滅亡しているが、これは義親は清水家の養子となる前に豊臣家に近習として仕えていたため、徳川家康から豊臣家との関係を疑われ、実兄の最上家親により追討されてしまう。
出羽の清水家はこのような悲しいフィナーレを迎えるが、大切なルーツには違いない。

他に、甲斐国巨摩郡清水村(山梨県南アルプス市清水)発祥の武田氏流清水氏、下野国芳賀郡清水(栃木県真岡市清水)発祥の清原姓芳賀氏族、木曾義仲の子清水冠者の裔という清水氏、志水を名乗った武蔵七党丹党の豪族である清水氏など多岐に渡っている。
南アルプス市の清水地区は、空海(弘法大師)伝説の残る歴史ある土地。清水八幡宮(若宮神社)も弘法大師伝承の社で、巨大な夫婦欅(けやき)が立っている。

全国の清らかな泉がルーツ

──この清水姓は、全国の清水の湧き出したところに多く付けられたわけで、たとえば、長野市信更(しんこう)町田野口に鎮座する清水神社は、かつて清水が湧きだしたことから、水神である罔象女(みつはのめ)命を勧請し、清水神社と称したという。
「延喜式内清水神社」と刻まれた社号標が立ち、鳥居をくぐり階段を上り御神木の間を通ると、社殿のあるこんもりとした森が広がる境内である。
大清水、小清水、御手洗清水など周辺は湧水群になっている。まさに清水だらけである。

また、香川県高松市由良町の清水神社の境内には二口の水甕が埋納された甕塚があり、埋納された甕は雨乞いの神具であったという。
清水神社の雨乞いは一風変わったもので、日照りが続くと埋納された二口の甕を掘り出し、神社近くに残る上御盥跡(かみたらせき)で神水を汲み、甕を洗い清める行法が行なわれる。雨乞いが終わると、甕はまた地中に埋められる。
神社の祭神は景行帝の皇子の神櫛王(かむくしのみこ)で、讃岐開拓の祖である。
神社の西にある由良山は、太古に大地震が起こった際、この山だけは揺れなかったため「ゆらぬ山」と呼ばれ、それが由良という地名を生んだという伝承がある。
まさに清水さんのパワースポットらしい話だ。

現在の清水姓の分布は北関東から甲信越地方に多く、山梨(大姓4位)、群馬(6位)、長野(6位)、富山(8位)がベストテンに入っている。

家紋は、九曜、丸に二つ引両、向う山桜、下り藤に水文字、鷹の羽、笹、八重桜、三つ柏、井桁、五七桐、丸に片喰(かたばみ)など。

 

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