紀州東照宮

紀州藩初代藩主の徳川頼宣(とくがわよりのぶ)が父・家康の霊を祀るため、南海道の総鎮護として1620(元和7)年に創建した古社。駿河の久能山に似た和歌浦を望む地を選んで造営し、後に頼宣自身も祀られています。祭神は東照大権現(徳川家康)と南龍大神(徳川頼宣)。

江戸初期の権現造りを代表する建造物

森閑とした参道
階段108段「侍坂」を上って楼門へ

徳川頼宣の紀州(現・和歌山県)入国とともに社殿造影が計画され、1619(元和6)年に起工、1620(元和7)年に竣工した東照宮です。
明治の神仏分離までは家康の側近だった天海(てんかい)僧正開山で、紀州徳川家の菩提寺でもあった天曜寺(てんようじ)が別当(神社を管理する寺)でしたが廃寺となっています。

江戸時代には、東照宮を口にするのは恐れ多いということで「和歌の御宮」と呼ばれていました。

青石を敷きつめた参道を過ぎ、108段の急な石段を登りきると、壮麗な朱塗りの楼門が眼前に。
権現造りの社殿は、極彩色で精巧な彫刻、漆塗りの柱や縁など、「関西の日光」と称されるにふさわしい絢爛さです。

本殿の彫刻は江戸時代初期の名匠・左甚五郎(ひだりじんごろう)の作、板絵は狩野探幽(かのうたんゆう)の作と伝えられています。
本殿、拝殿、唐門、楼門は国の重要文化財。

社務所に申し込めば、社殿の彫刻などの解説も(10分〜15分)。

例祭である『和歌祭』(わかまつり)は、毎年5月第2日曜に斎行されます。
紀州東照宮の108段の石段を神輿が勇ましく駆け下り、太鼓や雑賀踊、薙刀振りなどの渡御行列が和歌浦一帯を練り歩きます。

国の重要文化財、唐門
左甚五郎作と伝わる見事な彫刻
徳川頼宣
徳川家康の十男で、紀州徳川家の祖。母は家康の側室のお万の方(養珠院=安房勝浦出身)。豊臣政権下では水戸藩主、駿府藩主で、家康滅亡後の1619(元和5)年、秀忠の命によって、和歌山藩55万5000石の藩主に。入国後は、和歌山城の増改築、城下町の整備など、紀州藩の繁栄の基礎を築いています。8代将軍・徳川吉宗は孫にあたります。
徳川頼宣
紀州東照宮
名称 紀州東照宮/きしゅうとうしょうぐう
所在地 和歌山県和歌山市和歌浦西2-1-20
関連HP 紀州東照宮公式ホームページ
電車・バスで JR和歌山駅から和歌山バス新和歌浦行きで25分、権現前下車、徒歩5分
ドライブで 阪和自動車道和歌山ICから約10km
駐車場 80台/有料
問い合わせ 紀州東照宮 TEL:073-444-0808/FAX:073-447-2488
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
和歌浦

和歌浦

2020年4月13日

 

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