三国港突堤

三国港突堤

福井県坂井市にある三国港は、宮城県の野蒜築港(のびるちくこう)、熊本県の三角西港(みすみにしこう)と並んで、明治三大築港のひとつ。九頭龍川河口右岸から港西片に突き出している三国港突堤は、明治11年、政府が派遣したオランダ人技師G・A・エッセルが建設した歴史ある突堤で、国の重要文化財に指定されています。

明治15年完成の突堤は国の重要文化財

三国港突堤

北前船で栄えた三国港(三国湊)。
九頭龍川は崩川との別名をもつほど氾濫をくり返した川で、河口にある三国港(坂井港)には多量の土砂が堆積。
明治の近代化とともに、蒸気船などの船舶の航行に支障をきたすため、水深の確保と港の安全を守るため河口の改修工事が急務となりました。

そこで明治政府は、オランダ人技師ジョージ・アルノルド・エッセル(George Arnold Escher)が提出した「坂井(三国)港修築建議」に基づき明治11年に改修工事を開始。
エッセル(日本ではゲ・ア・エッセルと呼ばれました)は、ヨハニス・デ・レーケ(Johannis de Rijke=「砂防の父」として有名)らとともに、明治6年に来日したお雇い外国人で、明治15年に完成した三国港突堤は、設計者の名を採って「エッセル堤」の名があります。
明治11年5月24日に着工しますが、エッセルは6月に帰国したため、実際の監督指導はその部下である技師ヨハニス・デ・レーケに託されています。

波による洗堀を防ぐために突堤の基礎に粗朶沈床(そだちんしょう=洗掘を防止するため木の枝ををマット状に編んで川底に沈めるもの)が敷かれ、その上に15tもの石を積むという粗朶沈床工法が採用されています。
粗朶沈床工法は、オランダ独特の水利技術です。
堤防は防波堤と導流堤の機能を兼ね備え、銚子口を狭くし、日本海へ排出する水流の勢い(ジェット噴射機能)で土砂を排出しようと考えたもの。
石材には地元、東尋坊や雄島の安山岩が使用されています。

日本海はオランダ人の想像以上に荒波で、沈床の破壊や機材の流出など、損害を受けること実に28回を数える難工事となっています(総工費は30万円)。

完成当時は幅9m、長さ511mでしたが、現在の突堤は昭和45年に400m延長されたもので、全長927mに及んでいます。

自然素材を用い、西洋の築港技術が日本で初めて導入された貴重な港湾遺産として、国の重要文化財に指定されるほか、経済産業省の近代化産業遺産(「海運業隆盛の基礎となった港湾土木技術の自立・発展の歩みを物語る近代化産業遺産群」)、土木学会の土木遺産にも認定。

ちなみにエッセルは、龍翔小学校(大正3年に取り壊され、「みくに龍翔館」はそれを模した建物)の設計、指導にもあたり、明治11年に離日し、祖国で水政省に復職し、退職後にオランダ王国獅子十字勲章を授与されています。
エッセルが三国港(三国湊)を訪れた明治初期は、北前船による交易が空前の繁栄期を迎えた時代で、その財力を背景に、龍翔小学校の設計を依頼したのです。

三国港突堤
名称 三国港突堤/みくにこうとってい
所在地 福井県坂井市三国町宿
関連HP 坂井市公式ホームページ
電車・バスで えちぜん鉄道三国港駅から徒歩5分
ドライブで 北陸自動車道金津ICから約15km
駐車場 三国サンセットビーチ駐車場(600台/無料、夏季は有料)を利用
問い合わせ 坂井市文化課 TEL:0776-50-3164
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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