斎藤さんのルーツを探せ!

平安時代第一級の英雄で、「最初の武士」ともいわれるのが、鎮守府将軍・藤原利仁(ふじわらのとしひと)だ。
藤原利仁は下野国高蔵山で群盗数千を鎮圧(『鞍馬蓋寺縁起』)。
そのほか数々の伝説を持つ人物で、『今昔物語集』巻26にも同僚の五位の侍が薯蕷粥(山芋の粥)を飽きるほど食べたいというので、敦賀の館に連れ帰った有名な『芋粥』の説話が登場している。
これは芥川龍之介の小説『芋粥』のモチーフににもなっている。

斎藤さんは敦賀に始まる

斎藤姓はその藤原利仁の子、斎宮頭叙用(さいぐうのかみのぶもち=藤原叙用)が斎藤と称したことから始った。
つまり斎藤は、伊勢神宮の役職「斎宮頭」+藤原氏の「藤」=斎藤で、藤原北家利仁流の斎藤氏の誕生となる。
この藤原利仁は越前国敦賀の豪族藤原有仁の娘婿。
越前の国を本拠とし、孫の代では忠頼が加賀介となり子孫は北陸、そして美濃に広がったのである。

福井県敦賀市の御名(ごみょう)。御名の「御」はこの地にあった荘園が将軍藤原利仁の直属の名田であることを意味し、「名」は「棒給の田」の意味。つまり、「将軍直属の棒給の田」というのが地名の由来。御名字春日野は、利仁将軍の館跡と伝わる地。鎮座する天満神社の祭神は天神様(菅原道真)と藤原利仁で、境内には藤原利仁の供養塚がある。
敦賀は日本海に開けた対外交流の窓口で、古くから渤海との関係があり、『今昔物語集』にも唐人(中国の商人)が居住していたことが記されている。
斎藤さんのルーツとなる藤原利仁は、案外国際人だったのだろう。
敦賀市南部の粟野地区には、古くから藤原利仁将軍の家臣の末裔と称する人々が30世帯ほどあるそうだ。さらに敦賀市内の学校では芥川龍之介の小説『芋粥』にちなんだ給食の献立もあるのだという。

藤原利仁の子、藤原叙用(ふじわらののぶもち)は、加賀国二之宮の菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)を氏神とし、その後、斎藤氏は美濃国(現・岐阜県南部)の目代に任ぜられ、美濃に遷りますが、その際、氏神の菅生石部神社の分霊を勧請したので、美濃国には斎藤さんゆかりの菅生石部神社が17社もあることに。

菅生石部神社

菅生石部神社

2021年6月14日

関東の斎藤さんは熊谷がルーツ

その後斎藤氏は武蔵国と美濃国でも栄えることとなる。
越前から武蔵の長井庄(埼玉県熊谷市の妻沼地域)に移住した斎藤実盛(さいとうさねもり)は、『平家物語』にも登場し、源平時代に名を馳せた有名な武将。
死に装束が赤地の錦の直垂に、70余歳の白髪を黒く染めてあったことでよく知られている。
斎藤実盛は、源為義・義朝に仕え、保元・平治の乱で活躍した後、源氏の敗戦とともに平氏に属し、長井庄の庄官を務めた。
埼玉県熊谷市西野には斎藤別当実盛館跡(熊谷市の文化財)と伝わる地があり、隣接する塚に板石塔婆1基が残されている。
埼玉県は斎藤実盛を郷土の偉人の一人としているのだ。

熊谷市妻沼にある有名な妻沼聖天山歓喜院は、斎藤実盛の創建。
歓喜院聖天堂は平成24年に国宝に指定された。
関東の斎藤さんのルーツのひとつは、国宝になっているのだ。

妻沼聖天山歓喜院
妻沼聖天山歓喜院

妻沼聖天山歓喜院

2017年11月11日

斎藤さんで有名なのは斎藤道三

そして、木曽義仲が実盛の供養と戦勝を祈願して実盛着用の兜を奉納したのが、石川県小松市上本折町の多太神社である。
元禄2年(1689)、『奥の細道』途中、当地に立ち寄った松尾芭蕉も、多太神社に現存する実盛の甲を見て「むざんやな 甲の下の きりぎりす」と句を詠んでいる。
境内には実盛像や兜像、芭蕉像、さらに実盛の兜の絵馬が数多く奉納されている。
実盛は、木曽義仲追討のため北陸に出陣、加賀国の篠原の戦いで討ち死にしている。命の恩人を討ち取ってしまったことを知った義仲は、大いに嘆いたという。

さて斎藤といえば少々悪名が高いのが、「美濃の蝮(マムシ)」といわれた斎藤道三(さいとうどうざん)だろう。
その終生は司馬遼太郎の歴史小説『国盗り物語』に記され、NHKの大河ドラマも昭和48年に平幹二朗主演で放送された。
僧侶から油商人を経て、下克上を重ねてついに戦国大名にまで成り上がった道三も、最後は長男の義龍(よしたつ)によって討たれ、のち美濃斎藤氏は織田信長に滅ぼされてしまう。
では、金華山山頂に聳える岐阜城に寄ってみよう。美濃の守護土岐氏の筆頭家臣斎藤氏(道三ではない)の居城であった当時の稲葉山城は斎藤道三の手に落ちるが、やがて織田信長がこの地方一帯を平定し、それまでの稲葉山城を岐阜城へ改名した。
近くには、かつて土岐頼芸(よりのり)が居城としていたものを、斎藤道三が乗っ取った鷺山城跡や、道三が討ち取られた崇福寺がある。
当初、道三の遺体は祟福寺の西南に埋葬されたが、塚は長良川の洪水で流され、天保8年(1837)、菩提寺である常在寺第27世の日椿上人が祟福寺近くに移し碑を建立した。

斎藤道三も眺めたであろう金華山からの長良川
斎藤道三も眺めたであろう金華山からの長良川

岐阜城

2017年3月25日

斎藤姓は、山形県、福島県、栃木県の大姓4位、その他東日本各地に多い。
代表家紋は撫子(なでしこ)と望月。藤原氏なので下り藤、他に梅鉢、矢筈、石畳。木瓜(もっこう)、剣片喰(けんかたばみ)、桔梗、井桁、菱、藤の丸など。斎藤道三は撫子紋から自身で考案した道三波に変えている。

協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)

菅生石部神社

菅生石部神社

石川県加賀市大聖寺にある古社が菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)。古来、朝廷の崇拝を受け、平安時代編纂の『延喜式神名帳』にも加賀国(かがのくに)二之宮に列せられて記載される式内社。流行病(はやりやまい)に御利益があると有名で、近世には大聖

 

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