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日本三名瀑とは!?

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歴史的に有名な日本を代表する滝3つを選んだ日本三名瀑。一般的には日光の華厳の滝、熊野の那智の滝、奥久慈の袋田の滝が日本三名瀑ですが、選者がいるわけではありません。というわけで、華厳の滝、那智の滝については異論は少数ですが、最後の袋田の滝は、それに代えてという候補も存在します。

日本三名瀑は、修験道によって見出された山中の滝!?

滝に対する関心は、飛鳥時代に役小角(えんのおづぬ・役行者)が吉野山で創始したという修験道で、身を清める水垢離(みずごり)の地として、さらには滝に打たれる行場としても注目されるように。
またそのパワーの源泉ということから、不動明王が安置され、神聖視されたのです。

釈迦が菩提樹の樹の下で悟りを開いたように、滝壺は天然のマイナスイオン発生装置になっているので、瞑想したりするのには最適な環境だったとも推測できます。
仙人が滝近くの岩で瞑想するような絵が描かれるのもそのため(ただし、マイナスイオンの効果に関して、科学的には否定的な見解もあります)。

中世には修験者が山奥に分け入って、新しい滝を発見し、修験の地となった滝は、華厳、那智、阿弥陀、称名などの仏教的な名前が付けられました。

江戸時代には物見遊山的な滝見物も行なわれ、葛飾北斎は有名な『富嶽三十六景』が発表された後の天保4年(1833年)頃に『諸国滝廻り』を出版しています。
描かれた8枚には実は日本三名瀑は含まれず、東海道、日光街道、中山道・木曽路などの街道沿線の滝が多いのが特長です。
日光では華厳の滝を描かずに、霧降の滝を入れているので、江戸時代に「日本三名瀑」という言葉が浸透していたとは思えません。
ちなみに歌川広重の全国の各国から代表的な1ヶ所をピックアップした『六十余州名所図会』では日光・裏見の滝を描いて、やはり華厳の滝ではありません。

芭蕉が『奥の細道』途中で観賞したのも裏見の滝です。

華厳の滝が観光的に眺められるようになったのは、明治33年のこと。
それまでは、「滝見物は容易ではなく、はるか手前の断崖に突き出た岩上まで、危険な岩場を這い下り木にしがみついて眺めていた」(『郷愁の日光』)という状況だったのです。
星野五郎平が滝壺近くに茶屋を開いたのが観瀑台のルーツで、明治時代後期にようやく観光的に有名になったと考えられます。

というわけで、日本三名瀑という言葉も、明治後期から大正時代に大町桂月(おおまちけいげつ)など紀行家が活躍するようになってから生まれた言葉と推測できます。

日本三名瀑

華厳の滝

奈良時代に日光山開山の勝道上人が発見したという名瀑

所在地:栃木県日光市中宮祠
規模:落差97m、幅7m/直瀑
内容:華厳滝エレベーターを使って岩盤のなかを100mほど下り、夏でも15度という地下通路を歩けば観瀑台(滝壺まで150mほどの位置)
華厳滝の全景を見渡せるおすすめポイントは、上り専用第2いろは坂の途中にある明智平ロープウェイ展望台(明智平からロープウェイ3分で展望台)です

華厳の滝

那智の滝(那智大滝)、袋田の滝と並ぶ日本三名瀑のひとつに数えられる有名な滝で日光二社一寺の神域に位置しています。中禅寺湖から97mの高低差を一直線に水が流れ落ちる様は荘厳かつ豪快。昭和5年に営業開始という歴史ある専用エレベーターで滝壺近くま

那智の滝

「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録


所在地:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町
規模:落差133m、幅13m/直瀑
内容:一段の滝としては日本一の落差を誇る名瀑
もともと修験道に源を発する熊野信仰の対象で、那智四十八滝のひとつ
現在も飛瀧神社のご神体で、滝に対する自然信仰が残されています
修験道の聖域で、西国三十三所巡礼を始めた花山法皇も二の滝の断崖上に庵を設けて、千日滝篭行をしたと伝えられていますが、明治の神仏分離令・修験道廃止令によって廃れています

那智の滝

華厳滝、袋田の滝とともに日本三名瀑のひとつ、そして日本の滝百選に数えられる那智の滝。那智大滝として国の名勝にもなっています。落差133m、幅13m、滝壺の深さ10mの大滝で、平安時代以降、聖地として知られ、滝自体が熊野那智大社の別宮・飛瀧神

袋田の滝

厳冬期の氷爆で有名

所在地:茨城県久慈郡大子町袋田滝本
規模:落差120m、幅73m/4段
内容:1500万年前の海底火山から噴出した溶岩など噴出物の末端(断崖)という特異な滝
「四度の滝」という名は、西行が「この滝は四季に一度ずつ来てみなければ真の風趣は味わえない」と絶賛したという伝承も

「花もみぢ経緯(よこたて)にして山姫の 錦織出す袋田の瀧」(西行)
「いつの世もつつみこめけむ袋田の 布引出すしら糸の瀧」(徳川光圀)
「もみぢ葉を風にまかせて山姫の しみつをくくるふくろ田の瀧」(徳川斉昭)
「御空より巌を傳ひて飛落ちてすべりて散りて四度の大瀧」(大町桂月)

明治の文豪・大町桂月は、明治41年1月と大正9年6月と2度にわたり袋田の滝を訪れ、「瀧のあらゆる様を尽して居る」(『水戸の山水4 四度の瀧』)と絶賛しています

袋田の滝

日光の華厳滝、南紀の那智滝と並ぶ日本三名瀑のひとつが袋田の滝。久慈川の支流、滝川にかかる名瀑で、落差120m、幅73mを四段に渡って流れ落ちて流れること、さらには四季の折々の美しさから年に四度訪れるべきということからから別名「四度の滝」とも

その他の日本三名瀑候補

養老の滝

女帝・元正天皇は、養老の泉で肌が滑らかになり、「養老」に改元

所在地:岐阜県養老郡養老町養老公園
規模:落差32m、幅4m/直瀑
内容:昭和2年に大阪毎日新聞社、東京日日新聞社主催、鉄道省後援で日本新八景が選定の際にあわせて選ばれた『日本二十五勝』の瀑布部門の三滝は、華厳の滝、袋田の滝、そして養老の滝
歌川広重『六十余州名所図会』、葛飾北斎『諸国滝廻り』でもこの養老の滝が描かれています

養老の滝

親孝行な樵(きこり)・源丞内(げんじょうない)が山中で見つけた山吹色の水が、実は老父の大好きな酒で、これを飲んだ老父はすっかり若返ったという『古今著聞集』収録の孝行伝説の地、養老。そのシンボルが 落差32m、幅4mの名瀑、養老の滝で「日本の

秋保大滝

秋保温泉のシンボルで円仁(慈覚大師)修行の地との伝承も

所在地:宮城県仙台市太白区秋保町馬場大滝地内
規模:落差55m、幅6m/直瀑
内容:東北代表の秋保大滝。
平安初期から、都から遠く離れた秋保大滝が修験の地として崇められていたことは、秋保大滝不動尊(西光寺)や円仁伝承からも推測できます
滝の入口には秋保大滝不動尊が祀られ、不動尊の裏には滝見台も設置

秋保大滝

落差55m、幅6mの秋保大滝(あきうおおたき)は、秋保温泉のシンボルで、国の名勝、「日本の滝百選」に選定。幅6m、落差55mの巨瀑で、水量豊富な名取川の本流が滝壺に落ち込む轟音は、5〜6km先まで聞こえるほど。滝の入口には秋保大滝不動尊が祀

安倍の大滝

安倍奥に落ちる名瀑を、安倍の大滝遊歩道で探勝

所在地:静岡県静岡市葵区梅ケ島
規模:落差80m、幅16m
内容:駿河随一の巨瀑ですが、安倍川源流(安倍奥)にあるため、訪れる人も少ない秘境の滝
ただし、近くの梅ヶ島温泉は戦国時代は武田信玄の隠し湯として機能し、徳川家康、徳川秀忠の湯治の記録もあるため、滝の存在も今より有名だった可能性があります
明治に至っても清水次郎長、乃木希典が保養しており、その頃、三名瀑とされた可能性も

安倍の大滝

静岡市の安倍川の源流域(安倍奥)、支流のサカサ川に懸かる巨瀑が安倍の大滝で、日本の滝百選にも選定。駿河大滝とも呼ばれるのは落差80mは駿河随一だから。梅ヶ島温泉の温泉街から徒歩45分ほどで到達。県道29号途中、安倍の大滝入口バス停から1.2

白水の滝

霊峰・白山を源流とする大白水谷に懸かる滝

所在地:岐阜県大野郡白川村平瀬
規模:落差72m、幅8m/直瀑
内容:日本三霊山(日本三名山)、霊峰白山の登山道・平瀬道の途中の落ちています
つまり、白山信仰とともに見出された滝
瀑水が硫黄分を含んでいて乳白色になることが滝の名の由来です

白水の滝

華厳の滝、那智の滝と並んで、かつては日本三名瀑とも呼ばれた滝が白水の滝(白水滝/しらみずのたき)で、日本三霊山(日本三名山)、霊峰白山の登山道・平瀬道の途中、白水湖の近く落差72m、幅8mの大瀑布。庄川支流の大白水谷(おおしらみずだに)に懸

日本三名瀑とは!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

日本三大神滝とは!?

もともと修験道において滝は禊(みそぎ)の地でしたが、そのなかでも見事な滝は、滝自体が聖なる地、神仏習合の御神体とされました。滝に不動明王が祀られるのもそのため。なかでも華厳の滝、那智の滝、布引の滝は、「日本三大神滝」と称されています。華厳の

 

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