戦後の旅ブームは、『大阪万博』(EXPO’70)がひとつのきっかけになっています。開催直後に始まったのが伝説のキャンペーンでもある『ディスカバー・ジャパン(DISCOVER JAPAN)』。アンノン族を生み、一人旅や、女性同士の旅もこの時代に醸成されたのです。そんな国鉄のキャンペーンを紹介します。
ディスカバー・ジャパン(DISCOVER JAPAN)
1970年10月14日~1976年12月31日
1970年3月15日〜9月13日に開催された『大阪万博』(EXPO’70)で盛り上がった旅機運を、花火のように終わらせたくないということで誕生した、国鉄初の大キャンペーン。
当時、地方などでは「亭主を放って女性同士で旅に出るなど、けしからん」という風潮があった時代、もっと多くの人に旅に出てもらいたい、できれば女性をと考えたのが、『ディスカバー・ジャパン』キャンペーンでで、副題の「美しい日本と私」というのもそうした女性を念頭に置いています。
「美しい日本と私」というコピーの入ったディスカバー・ジャパンのB全ポスターは、そのセンチメンタルな雰囲気とともに、注目を集めました。
同時に、国鉄提供による読売テレビ制作のテレビ番組『遠くへ行きたい』が放映されるなど、旅に出たくなる仕掛けを数多く目にするように。
『遠くへ行きたい』は主題歌(作詞・永六輔、作曲・中村八大=六八コンビ)もヒットし(オリジナルはジェリー藤尾でしたが、番組ではデューク・エイセスの歌唱)、「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンは大成功となり、万博後の売上増につながりました。
空前の旅ブームで、若い女性たちも旅に出かけるようになり、1970年3月に『anan』(平凡出版、現・マガジンハウス)がフランスのファッション誌『ELLE』の日本版して創刊、1971年5月に『nonno』(集英社)が刊行。
「アンノン族」という言葉が生まれ、松本、金沢、高山、倉敷などの古都や、木曽路の妻籠(つまご)・馬籠(まごめ)に代表される街道、清里・野辺山、霧ヶ峰などの高原などが注目されるようになりました。
一枚のキップから
1977年1月6日~1978年11月3日
女性を含めた若い世代やファミリーなどの掘り起こしを図ったのが、『一枚のキップから』キャンペーンで、キャンペーンソングは小林啓子歌う『レイルウェイ・ララバイ ~一枚のキップから~』(作詞・山川啓介、作編曲・高橋信之)。
弘済出版社から「スタンプノート」が発売され、全国の297駅に「一枚のキップからスタンプ」を設置。
ファミリーにもスタンプ目的に旅に出てもらおうという発想でしたが1976年11月に50%を超える大幅な運賃値上げがあったこともあって、旅行者は大幅に減り、キャンペーンも不発に(それでも値上げによって赤字国鉄は29%の増収に)。
いい日旅立ち
1978年11月3日~1984年1月31日
『一枚のキップから』キャンペーンの不発で、満を持して登場したのが、『いい日旅立ち』。
1978年11月21日にはキャンペーンソングとして山口百恵の歌う『いい日旅立ち』(作詞・作曲:谷村新司)をリリース。
キャンペーンを担ったのは「DISCOVER JAPAN」も手掛けた電通・藤岡和賀夫で、キャンペーンのロゴマークには「DISCOVER JAPAN2」と表記されていました。
『ディスカバー・ジャパン』の6年には及ばなかったものの、5年以上の長期に渡るキャンペーンで、曲のヒットとともに記憶に残るものになりました。
キャンペーンソングを誰が歌うかに関しては当初、浜田省吾という案もありましたが、最終的に山口百恵に。
曲を流す国鉄の番組は1本しかなかったので、国鉄の指定券発売システムのマルスを採用していた日本旅行、そしてマルスを開発運営していた日立がスポンサーになり、キャンペーンソングをTVCMで流すことに。
日・旅・立という文言を入れた曲ということで、電通サイドから『いい日旅立ち』という名が提案され、予算不足の国鉄がそれに乗ったというキャンペーンです。
かつては東海道新幹線の車内チャイムにも使われていましたが、2023年7月から新しいチャイム『会いにいこう』(JR東海『会いにいこう』キャンペーンCMソング/作詞・野崎賢一、岩崎太整、作曲・岩崎太整)に切り替わっています。
エキゾチック ジャパン
1984年2月1日~1987年3月31日
山口百恵の歌う『いい日旅立ち』が、累計売上100万枚という大ヒットを記録し、キャンペーンとしても成功した『いい日旅立ち』の後続となったのが、『エキゾチック ジャパン』。
副題も「日本はミステリアスで刺激的な国だ」という少し哲学的な内容に。
実は、『エキゾチック ジャパン』をプロデュースしたのは、作家・五木寛之。
単なる消費の旅ではなく、心豊かになる旅をというのが根底に流れるスピリットで、高度成長を遂げた日本で、もう一度足下をじっくり見つめてみようという趣旨がありました。
テーマソングが『2億4千万の瞳 – エキゾチック・ジャパン -』(作詞・売野雅勇、作曲・井上大輔)で、郷ひろみがジャパン!と叫ぶことで、話題にもなりました。
国鉄の分割民営化でキャンペーンが終了しています。
「いい日旅立ち」キャンペーンに替えて
~いま日本は、どきどきするほど刺激的だ~
高野山でインドの神々と出会った。祇園祭りの山鉾にペルシャの絨緞を見た。べんがら格子の朱はベンガル湾の夕焼けの色なのだ。長崎のざぼん売りはポルトガル語の訛り。西域の空をお水取りの篝火に想い、茶聖利久は朝顔を異国の花とめでる。
ふるさと日本は刺激的だ。どきどきするほどエキゾチックだ。
旅に出て知る、ああ、エキゾチックジャパン!
(五木寛之)
五木流に「祇園祭りの山鉾にペルシャの絨緞を見た」、「べんがら格子の朱はベンガル湾の夕焼けの色なのだ」など、古代からの渡来文化をどう受け入れ、消化吸収し、さらには昇華してきたのかをテーマにしていたので、駅貼りのB全ポスターも少し知的な内容に。
山鉾にペルシャじゅうたんは、ペルシャ絨毯が江戸時代(17世紀頃)のに日本に伝来、京『祇園祭』の山鉾の装飾品に使われることを暗示するという知的すぎるような内容でした。
紅殻(べんがら)は、江戸時代にインドのベンガル地方産を輸入したために付いた名称、これを五木寛之は「ベンガル湾の夕焼けの色」と表現したわけで、多くの国民はちんぷんかんぷんだったと思われます。
それでエキゾチック・ジャパンのポスター解説本まで出版されています。
いい旅チャレンジ20,000km
1980年3月15日~1990年3月14日
電通のアイデアを取り入れて、数多くのヒットキャンペーンを展開した国鉄ですが、慢性的にローカル線の赤字を抱えていました。
それを解消しようというのが、国鉄最後のキャンペーンで、分割民営化後もJRグループに引き継がれ、10年間という最長キャンペーンとなった『いい旅チャレンジ20,000km』。
乗り鉄を増やそうという大胆な企画で、国鉄全線に乗ると完全踏破賞(国鉄時代は総裁賞)がもらえ、路線数によっても数々の賞がもらえるというもの。
スマホがない時代、各線区起点駅と終点駅で駅名標と自分が写っている紙焼きの写真を事務局に送付し、線区の踏破を認定してもらうというアナログな方法でした。
開始から5ヶ月後に完全踏破者が出現するなど、最終的な完全踏破者は1500人というそれまでの全線完乗者数を考えると驚異的な数となりました(個人最多完乗回数は5回)。
事務局となった弘済出版社から『ときめきの踏破パスポート』(公式ルールブック)も発売されていました。
バンダイ、エポック社からタイアップしたボードゲームが発売され、フジテレビで『いい旅チャレンジ20,000km』も半年間放送されています。
国鉄は分割民営化され、1987年4月1日にJRグループとなっていますが、『いい日旅立ち』キャンペーン時代に始まった「きらめく紀州路」キャンペーンをルーツとするディスティネーションキャンペーン(DC/地域重点宣伝)は今も行なわれています。
| 戦後の旅ブームはここから始まった! 国鉄の5大キャンペーンとは!? | |
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