円形の主丘+方形の突出部が前方後円墳ですが、方墳の上に円墳を乗せたような形状の古墳が「上円下方墳」。つまりは古墳の下部が円形、上部が方形という2段構造の古墳で、古墳時代後半に築かれています。さらに明治天皇、大正天皇、昭和天皇の陵(みささぎ)も実はこの「上円下方墳」です。
1979年の石のカラト古墳発掘調査でその存在が明らかに
上円下方墳の存在が明らかになったのは1979年の石のカラト古墳発掘調査で。
奈良県奈良市と京都府木津川市の府県境に位置するのが、石のカラト古墳。
下段の方墳部は一辺13.8m、上段の上円部の直径は9.2mほど。
終末期古墳で、築造された時代は飛鳥時代から奈良時代初めと推測されています。
1979年1月9日〜3月31日に平城ニュータウン建設に先立って発掘調査が行なわれ、それまでその存在が疑問視されていた上円下方墳であることが判明。
国の史跡に指定、現在は開発を免れて公園として保存されています。
築造当時は、盛り土の上に葺石(ふきいし)をぎっしり並べ、ピラミッドのような姿だったこともわかっていますが、被葬者はその立地から天武天皇の皇子など、平城京遷都に関係する皇族の墓ではないかと推測されています。
この方墳の上に円墳がのるというユニークな形状の上円下方墳は、1985年に清水柳北1号墳(静岡県沼津市)、2003年に武蔵府中熊野神社古墳(東京都府中市)、2007年に天文台構内古墳(東京都三鷹市)、2008年、野地久保古墳(福島県白河市)、2013年に確認された山王塚古墳(埼玉県川越市)と律令制の始まるころ(古墳時代終末期)にも続々と古墳が築かれた東国で、2000年代になっても続々と発見され続け、現在はこの6例が確実視されています(山王塚古墳は日本最大の上円下方墳)。
このほかにも岐阜県美濃加茂市の火塚古墳も上円下方墳の可能性が大。
近現代になって築かれた明治天皇の伏見桃山陵、大正天皇の多摩陵、昭和天皇の武蔵野陵がこの上円下方墳を採用しているのは、明治天皇の陵を築く際、宮内庁が大化の改新を断行した天智天皇の陵と治定(じじょう)する御廟野古墳(ごびょうのこふん)、舒明天皇陵(段ノ塚古墳)を参考にしたからですが、現在では御廟野古墳、段ノ塚古墳は、八角墳であることが判明。
伏見桃山陵が築かれる際に、御廟野古墳が八角墳だとわかっていたら、明治、大正、昭和天皇陵は、大王陵らしい八角墳だったのかもしれません。
判明している上円下方墳 6基
古墳名 (判明順) | 所在地 | 墳丘長 | 築造の時代 | |
下段 (一辺) | 上段 (直径) | |||
石のカラト古墳 | 奈良県奈良市 京都府木津川市 | 13.8m | 9.2m | 8世紀初頭 |
清水柳北1号墳 | 静岡県沼津市 | 12.4m | 9m | 8世紀初頭 |
武蔵府中熊野神社古墳 | 東京都府中市 | 1段目32m 2段目24m | 16m | 7世紀中頃〜後半 |
天文台構内古墳 | 東京都三鷹市 | 27m〜28m | 18m | 7世紀中頃〜後半 |
野地久保古墳 | 福島県白河市 | 16m | 10m | 7世紀後半 〜8世紀初頭 |
山王塚古墳 | 埼玉県川越市 | 63m | 47m | 7世紀後半 |
皇室の陵墓にも採用される「上円下方墳」とは!? | |
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