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本山寺(四国八十八ヶ所霊場第70番札所)

本山寺(四国八十八ヶ所霊場第70番札所)

香川県三豊市にある高野山真言宗の寺、本山寺(もとやまじ)。大同2年(807年)、平城天皇の勅願により、空海が一夜にして本堂を建立したと伝わる古刹で、四国八十八ヶ所霊場第70番札所。山号は七宝山、本尊は四国霊場で唯一の馬頭観音。鎌倉時代再建という本堂は国宝です。

鎌倉時代再建の本堂は国宝!

大同2年(807年)、空海(弘法大師)が自刻の馬頭観世音菩薩像(本尊=秘仏)、阿弥陀如来と薬師如来を脇侍として開創。
開創当時は長福寺と称していました。
往時には七堂伽藍を有し、24坊があったと伝えられています。

天正年間(1573年〜1593年)、土佐国(現・高知県)を平定した長宗我部元親(ちょうそかべ もとちか)が讃岐国にも侵入し、その戦火で諸堂を焼失。
その際、境内に乱入する兵士を切られながらも住職が押し留めようとしますが、本堂に到達した軍勢は脇仏の阿弥陀如来の右手から血がしたたり落ちるのを見て驚愕、本堂と仁王門、鎮守堂は焼失を免れたのだと伝わっています。
この阿弥陀如来は、「太刀受けの弥陀」と呼ばれ、戦国時代以降、寺の名が本山寺に改まりました。

正安2年(1300年)に再建された本堂(棟木、礎石の墨書から建築年が判明)は、鎌倉時代の折衷様式を示す寄木造り本瓦葺きの建物で、国宝。
本堂に祀られる本尊は、四国霊場では唯一の頭上に馬頭をいただく馬頭観世音菩薩ですが、秘仏です。

唐風の彫刻がある仁王門(八脚門)は、久安3年(1147年)建立で国の重要文化財に指定されています。
和様・唐様・天竺様の手法を取り入れた全国的にも珍しい折衷様式の建築で、本柱の前後に4本ずつ計8本の控柱があるので八脚門と呼ばれています。

境内にはほかに、室町末期の様式を残す檜皮葺きの鎮守堂、仁王門左右の金剛力士像、再建された五重塔など、見どころが多数。

旧伊予街道側の入口に建つ大門は、大正3年、宝光寺(岡山県瀬戸内市牛窓町)から移設したもの。
弘法大師像を祀る大師堂は、毎月21日開帳。

聳え立つ五重塔は、明治43年、当時の住職・頼富実毅(よりとみじっき)が再建したもので、本山寺のシンボル的存在になっています。
四国八十八ヶ所霊場では第31番札所・竹林寺(高知県高知市)、第75番札所・善通寺(香川県善通寺市)、第86番札所・志度寺(香川県さぬき市)とこの本山寺の4ヶ所だけという五重塔で、天暦3年(950年)築の初代が老朽化し、明治時代に建て替えたもの。

江戸時代建立の大師堂、十王堂、大日堂、宝蔵、鐘楼、大門、明治43年築の冠木門は、国の登録有形文化財。
室町時代末建築の鎮守堂は、香川県の文化財に指定されています。

5月連休、秋の連休に『五重塔特別見学会』、7月土用の丑の日には『きゅうり加持』、8月23日に『とうろう流し』、不動明王立像を祀る十王堂で毎月28日9:00〜『護摩祈祷会』が執り行なわれています。

四国八十八ヶ所霊場(四国遍路) 霊場間の距離・時間

69番札所・観音寺(香川県観音寺市八幡町1-2-7)・・・(車5km・10分/徒歩4.7km・1時間10分) ・・・70番札所・本山寺(香川県三豊市豊中町本山甲1445)・・・ (車13km・30分/徒歩12.2km・3時間20分)・・・ 71番札所・弥谷寺(香川県三豊市三野町大見70)

本山寺(四国八十八ヶ所霊場第70番札所)
名称 本山寺(四国八十八ヶ所霊場第70番札所)/もとやまじ
所在地 香川県三豊市豊中町本山甲1415
関連HP 本山寺公式ホームページ
電車・バスで JR本山駅から徒歩15分
ドライブで 高松自動車道さぬき豊中ICから約3km
駐車場 15台/無料
問い合わせ 本山寺 TEL:0875-62-2007
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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