香川県高松市由良山町、平野部にポツンとそびえる由良山(標高120.3m)の西登山口近くにあるのが、由良山防空壕跡(ゆらやまぼうくうごうあと)。清水神社駐車場から由良山西登山口へ向かう途中に3ヶ所の防空壕(戦闘機、人などを隠した壕)の跡がありますが、崩落の危険があるため、立ち入りは厳禁です。
陸軍林飛行場の戦闘機を隠した壕の跡が現存
由良山の北側、2kmほどの場所には昭和19年8月に開設された陸軍林飛行場があり、戦後は高松空港として使われていました(平成元年12月16日に新しい高松空港が開港し、廃止に)。
跡地は現在、サンメッセ香川、香川県立図書館、香川大学工学部などが並ぶインテリジェントパークになっています(道路の形状から滑走路の輪郭がわかります)。
陸軍林飛行場では、昭和20年2月、アメリカ軍の空爆を避け、本土決戦に備えて戦闘機・輸送機(九七式戦闘機、四式戦闘機など)を温存するために由良山には格納庫が造られ、飛行場か由良山へと誘導路が伸びていました。
さらに隠しきれない戦闘機は、遠く離れた屋島神社参道の松並木などにも隠したのです。
アメリカ軍の目を欺くために模型飛行機を並べたりもしていました。
陸軍が林村に飛行場を開設するにあたって、当時の林村役場は昭和19年1月23日に、突然、周辺3町村にまたがる270haを接収し、飛行場を建設するとの通告を受けます。
わずか5日後の1月28日、林小学校講堂に指定区域内の関係者400余名が集められ、陸軍から土地の買収、家屋の移転の要請を受けます(要請というのは形だけで通告でした)。
こうして林村は田畑の半分近くを失い、公共建物を含めた275戸の家屋が移転するという村の存亡の危機に直面したのです。
飛行場建設にあたっては、学徒を含め連日数千人が勤労奉仕に動員され、昭和198月には東西滑走路が完成し、9月からは軍用機の飛行訓練が始まっています。
しかし計画された南北滑走路は完成することなく終戦を迎えています。
由良山防空壕跡 | |
名称 | 由良山防空壕跡/ゆらやまぼうくうごうあと |
所在地 | 香川県高松市由良町936 |
ドライブで | 高松自動車道高松中央ICから約3km |
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